半死人の自慰行為

学校は教員のエゴイズムで成り立っている。

常に誰かに認められたいという気持ちが、彼らを突き動かしている。どうしても自分が注目されたくて仕方がないのだ。

学校とは、「生徒のため」と魔法の言葉を後生大事に、大人が自分の承認欲を満たそうと一致団結した姿とも言える。

決して、生徒のための機関ではない。


同僚Tは言う。

「所詮、オレらは駒なんだよ。」

新米教師Aは、その言葉に敏感に反応した。

Tには家族があった。配偶者もまた教師であり、出産を控えている。多忙の日々が祟り、切迫早産と診断され、今は病院のベッドの上で生活している。順調にいけば、この春に産まれるそうだ。

駒とわかっていながら平日は部活に顔を出し、休日は間に合っていない担任業務のために出勤するTの献身に、Aは気持ち悪ささえ覚えていた。

駒なら駒らしく、感情を殺して動けば良い。

「駒ですか。ここまで悩みの尽きない駒も珍しいですよ。教材研究する暇がないですよね。僕には、教科書をじっくり読んで、発問を練る時間がほしい。いくらあっても、足りないんですよ。」

「ほんと、時間があればなぁって思うことだけはたくさんありますよね。家に帰って教材研究して、自転車操業してなんぼですね。」

悩みを打ち明けるAに、隣に座るN氏は教員らしい諦観を表した。

Nにとって教材研究とは授業で語る言葉の準備に成り下がっており、もはや教科専門性を高める行動ではなかった。N氏は自分のしていることに納得していなかったが、それでも何かしていなければならなかった。何もしていなければ、ただ無為な日常が流れすぎて行くだけだと感じていた。

Aは教育のあるべき姿を語るつもりだったが、TやNの態度をみて、それは意味をなさないと悟った。

彼らは「生徒のため」に働くことで自分を保っている。

自分が誰かに求められている実感が欲しいのだ。


教師集団は求めてもいない自慰行為を見せつけている、それは自分も例外ではない、とAは直感した。

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