いつまでティーンの自分に振り回されるのか

高校入学からすぐに、「仲良くなろうね!」をテーマにした遠足があった。
行き先は伊豆あたりのなんとかパークで、アスレチックとBBQを通しての親睦タイムでは、実際に仲良くなれた友だちも多かったように思う。

自分が誰とどんなふうに過ごしたのか。
そのほとんどの記憶はないものの、食器洗い場で何年かぶりにあった友だちに声をかけてもらったのに、まったく上手いこと返事ができなかったことだけはありありと思い出せる。
「声をかけてもらえるなんて」「あれ、なんて呼んでたっけ」「なにを話したら気持ち悪くないんだ」とかいろんなものが押し寄せて、被害者みたいなつらしたことだけはばっちりと思い出せる。
というか、このあいだ夢でみてしまった。かなり鮮度のある後悔になってしまった。

夢の中では、返事ができなかったもののなんやかんやで仲良くなれる、ハッピーな終わり方をしていたが、現実はそんなこともなく、挽回のチャンスはやってこなかったし、掴みにもいかなかった。目を背けていたのかもしれない。
夢をみてからここ何日、なんかずっと辛いまま過ごしている。胸の奥のほうがずうっとつっかえている。

感情が揺れたとき、表現しなくちゃ!と思う。
この思いを世界に残さなければ みたいなものではなく、吐き出さないと昇華だか消化だかができず、生命活動がままならないような気がするからである。
高校くらいからはよく歌詞にしていた。自分は歌えるので歌詞。かなりこっぱずかしいようにも思うし、たまに見返してこいつ良いこと言うじゃんとも思う。

社会人になってから数年が経ち、表現しなくちゃ!と吐き気がすることも少なくなっていたが、今回は吐いてしまいたかった。
内容もそうだが、いつまでティーンの自分にふりまわされなくちゃいけないんだよ!! と思った。

だからnoteをはじめました。


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