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続きました

まだ考えている💭
前回記事のPERFECT DAYSについて。↓
https://note.com/uemar176/n/nf6ea24c10227

以下ネタバレです。とっくにかな?
慣れないもので済みません

平山さんは、その気になればこの生活から脱け出せる。カセットもテープが伸びて音がビヨビヨになる。
カメラ遊びも一眼使わずに満足できるのだろうか。
この生活に納得してるのか。馴染みのなかった新鮮さと気楽さで気に入ってるだけなのか。

銭湯で顔を合わせるおじさん方に向かって好意的な笑顔を見せる気弱いぎこちなさは、世間知らずや趣味上の接点の無さ故の会話の糸口を掴めない苦労だったりするのかとか。

家出して居候する姪っ子が、道中の橋から川を望む場所で海まで行ってみよう。と、年齢に似合わず相手の都合も構わず思いつき誘う勢いが、かつてはこの人にもあったのだろうか、とも。

今の現実の仕事では、若いトイレ利用者からも疎まれ場を外せと睨まれる。冒頭では二日酔いの若い社会人に清掃看板を蹴り倒される。
無表情でも視線を下げて外しつつ、薄く温かく笑う。
スーパーで働いていて、ああいうのをクリアできていない未熟な私は、あれを真似したいと思った。

無口さで最初は気づかなかったけど、人に接する時の品の良さが際立って感じた。

プライベートを目撃される場面に赤の他人が居合わせる事を人は心底嫌うもので、そういう場で働く人は忍者のごとく無になる。プロ意識が高いほどに空気になると最近思う。
通路を譲りスッと踵を返し棚影に消える。嫌味もなく爽やかに。草食動物のように。

私が密かに手本としている、近所のコンビニで働く女性店員さんがそれをする。本人へは伝えていない。

コンビニやスーパーがプライベート?と思いますよね。食欲という三大欲を恥じる意識が攻撃性に変わる。ビール、タバコ、甘いもの。弱さに繋がる。受け入れられない人は売り場のせいに転嫁しがち。
確かに餌は巧妙に仕掛ける配置ですが上の指示です。


頭脳労働から程遠い仕事として、子供から年輩者まで下に見てくる人々は一定数居るが、そんな安直な言い訳で安心して暮らせるのならさせておけばいいと思ってる。

嫌がられる体力仕事が減り、明確な仕事のやり甲斐が減り、爽快な充足感と気持ちのいい働き手も減り、独特だったり、孤独で奇妙な理屈が罷り通って、意味不明なクレームも発生する。
警戒心だけは高まる時代だから無理もない。
纏めると、不思議と全ての人が寂しげに見える。

マンション管理人の高齢者男性が掃除する曜日に
わざとゴミを散らかす。
雨に濡れた傘をビニール袋に入れずに持ち回り、通路を水浸しにする。転倒する人が出る危険を冒す。
他人を不自由に煩わせる自由を権利として喜び味わう。人にはそういう心理があるらしい。
そうして世の中で透明な自身の存在感を証明するかの様に、不毛な言動をとる。

とすると、普段の身の回りの整頓というのは実は心を整える大切な習慣なのかもしれません。
偏見ですが、水回りのケアを出来ない人の言動には何故だか説得力に欠ける部分がある気がするのはそのせいかもしれない。
当たり前の様に条件反射のように、サッと汚れを拭き取りゴミを拾い上げ、何かあった?という残像だけ残すような人はかっこ良い。

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