見出し画像

発達障害について考えよう(4)

本当のインクルーシブとは

               植草学園大学発達教育学部教授 野澤和弘

 発達障害のある人の中には芸術や科学において傑出した才能があり、近代文明を進化させてきたことを紹介しました。そのような才能がなくても、脳の機能の多様性に着目して、「劣っている」のではなく「違う」だけだと考えるニューロ・ダイバーシティという概念が注目されています。従来の古い障害観を変える可能性を秘めていると思います。

発達障害をポジティブに評価する

 自閉スペクトラム症(ASD)という発達障害は、言葉や視線、表情、身振りなどでやりとり、自分の気持ちを伝える、相手の気持ちを読み取ることが苦手、特定のことに強い関心を持つ、こだわりが強い--といったネガティブな面から語られることが多いのが実情です。
 日本自閉症協会は次のように説明します。
「主に社会的なコミュニケーションの困難さや空間・人・特定の行動に対する強いこだわりがある等、多種多様な障害特性のみられる発達障害のひとつです。この障害特性により、日常生活や社会生活において困難さを感じることがあります」「生まれつき、脳の中枢神経系という情報を整理するメカニズムに特性があるため、できることとできないことにばらつきがあり、日常生活でさまざまな困難が生まれてしまいます」(同会HPより)

 ところが、IT企業を中心とした世界的な人材獲得の流れは、発達障害のポジティブな特性に光を当てます。
 IT分野では先進諸国に後れを取ってきたのが日本であり、経済産業省は新たな人材確保の潮流に乗り遅れないよう躍起になっています。「イノベーション創出加速のためのデジタル分野における『ニューロ・ダイバーシティ』の可能性に関する調査(令和3年度産業経済研究委託事業)は述べます。
 「発達障害のある人が持つ特性(発達特性)は、パターン認識、記憶、数学といった分野の特殊な能力と表裏一体である可能性が、最近の研究で示されています。特にデータアナリティクスやITサービス開発といったデジタル分野の業務は、ニューロダイバースな人材の特性とうまく適合する可能性が指摘されています」
 自閉スペクトラム症(ASD)については「細部への注意力が高く、情報処理と視覚に優れ、仕事で高い精度と技術的能力を発揮する」「論理的思考に長けており、データに基づきボトムアップで考えることに長けている」「集中力が高く、正確さを長時間持続できる」「時間に正確で、献身的で、忠実なことが多い」と優れているところを強調します。
 注意欠陥・多動症(ADHD)は落ち着きがない、待てない、注意が持続しにくい、作業にミスが多いと指摘されることが多いが、同調査では「リスクを取り、新たな領域へ挑戦することを好む」「洞察力、創造的思考力、問題解決力が高い」となる。「マルチタスクをこなし、環境や仕事上の要求の変化に対応する能力が高い」「精神的な刺激を求め続け、プレッシャーのかかる状況でも極めて冷静に行動できる」「刺激的な仕事に極度に高い集中力を発揮する」
 注意が散漫で落ち着きがないと責められてきた人が、「マルチタスクをこなし」「高い集中力を発揮する」と評価されています。多数派の都合に合わせた制度や慣習に合わないというだけで不当に過小評価されてきた発達障害の人から見れば、ニューロ・ダイバーシティは歓迎されるべき概念と言えるでしょう。

植草学園大学教職・公務員支援センターで

過度な期待と落とし穴

 日本のGDPがドイツに抜かれて世界4位に後退したことで、政府や経済界はイノベーションを起こせる人材の確保や発掘に焦ることは容易に想像できます。一方、現実からかけ離れた過度な期待は失望を生むことも懸念されます。
 発達障害の人がみんな特殊な才能を発揮できるわけではありません。保育所や学校で集団活動を強いられて適応障害を起こしたり、ネガティブな視線にさらされて自信を失ったりしている人も多いです。
 最近、障害者向けの就職説明会では発達障害や精神障害の人の姿が目立ちます。身体障害や知的障害で企業就労を望んでいる人はほとんどが雇用され、これまで企業就労になじみのなかった精神障害や発達障害の人が主流となっているといいます。それだけ一般就労から疎外されてきたからでもあります。
 多数の障害者を雇用している関西の企業を訪れた際、人事担当者からこんな話を聞きました。
 「さまざまな障害の人を雇用しているので、どんな障害にも対応できるようになった。ところが、発達障害の若い男性社員だけはどうにも難しい。時々なのだが上から目線で偉そうな言い方をしてくるので、彼と話しているとイライラしてしまう。ほかの職員も彼のことを苦手で一緒に働きたくないという人が多い」
 コミュニケーションに独特の偏りがあり、感情面で周囲と行き違いが生じやすい特性のある発達障害の人は定着率も低く、企業も採用に二の足を踏んできた。たとえ特異な才能があったとしても、安心して働ける職場環境や同僚の理解がなければ才能を発揮することも働き続けることも難しいでしょう。

多様性に必要なこと

 どうすれば発達障害の人を企業文化と融合させることができるのでしょうか。この人事担当者の話には続きがあります。そこには発達障害の人の就労を進め、定着を図っていくための重要なヒントがあります。
 「どうして彼は偉そうな物言いをするのだろう。そして、ちょっとした言い方なのにどうして私はこんなにイライラするのだろうと思うようになった。発達障害にばかり着目していたが、よくよく考えてみると、私自身の中に『障害があっても雇ってもらっているのに……』という歪んだ思いがあることに気づいた。それを自覚した上でいらだちを抑えることに努めるようにしたら、いつの間にか彼も偉そうな言い方をしなくなった。こちら側の見下した思いが無意識のうちに彼自身の警戒心をかき立て、偉そうな態度や言葉で自分を守ろうとしているのかもしれないと思った」
 段差など目に見えるバリアー(障壁)をなくすことは容易いと思います。障壁がなくなったこともわかりやすいでしょう。しかし、心の中のバリアーをなくすことは難しいです。周囲から気づかれず、自分自身も気づくことが難しいからです。
 目覚ましい商品やサービスを生み出すイノベーションは多様性から生まれると言われます。似たような価値観ばかりの集団からは新しい考えは出てきません。しかし、多様性だけではむしろパフォーマンスが落ちることの方が多いと言われます。
そこに必要なのは、多数派の側にある無意識の偏見をなくし、異なる価値観や特性を理解することです。少数派の人々が安心して自分の意見を述べたり行動したりできる寛容さや許容力です。
それぞれの違いを優劣で測るのではなく、ただ「違い」として認めようというのがニューロ・ダイバーシティの概念の根底にあることを忘れてはなりません。
                              おわり
       (毎日新聞の連載「令和の幸福論」を加筆・修正しました)

野澤和弘 植草学園大学副学長(教授) 静岡県熱海市出身。早稲田大学法学部卒、1983年毎日新聞社入社。いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待など担当。論説委員として社会保障担当。2020年から現職。一般社団法人スローコミュニケーション代表、社会保障審議会障害者部会委員、東京大学「障害者のリアルに迫る」ゼミ顧問。上智大学非常勤講師、近著に「弱さを愛せる社会に~分断の時代を超える『令和の幸福論』」(中央法規)。「スローコミュニケーション~わかりやすい文章・わかちあう文化」(スローコミュニケーション)、「条例のある街」(ぶどう社)、「障害者のリアル×東大生のリアル」(〃)など。https://www.uekusa.ac.jp/university/dev_ed/dev_ed_spe/page-61105

植草学園大学 オープンキャンパスのご案内

5月26日(日)私たち植草学園大学ではオープンキャンパスを開催します!
本コラムの執筆陣を始め、たくさんの教員・スタッフ・先輩学生たちが皆さまをお待ちしています! 以下リンクよりエントリーをおねがいします。
皆様をお待ちしております

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?