欲望解剖(茂木健一郎/田中洋/電通ニューロマーケティング研究会編)【書評#119】

 脳科学者とマーケティングの専門家の共著。この本では「ニューロマーケティング」をテーマに話が進められている。ここで「ニューロマーケティング」とは以下のような概念だ。

「ニューロマーケティング」は、神経経済学のような新しい科学の動きを受けて、脳の働きという視点からマーケティングにかかわる諸問題を検討し、ひいては人間性の本質を理解しようというアプローチである。 p.8

 脳科学の知見を用いたマーケティング論が展開されていて非常に興味深い。

 モノを売るためにさまざまなマーケティングが行われていますが、たいていのアプローチで間違っているのが、「100%正しい方程式がある」と思うこと。それは脳にとって、一番不快なことなのです。脳は規則性の押しつけを非常に嫌う。半ば予想ができるけれども、半ば予想ができないという要素を入れておかなければ、脳を惹きつけることはできません。 p.36

脳の長期記憶に潜り込むためには、常に時代性と向き合って、どんな表現が人の記憶に残るのかを考える必要があります。つまり驚きを利用したり、奇をてらった広告は情動系に訴えて、記憶回路に「レジスター」されることはできますが、そこまでなんです。そこから先のブランド価値の構築には、「エピソード記憶」から「意味記憶」への編集過程が関わってきます。そのブランドに関してテレビ、雑誌、新聞などのメディアを通して得た情報を脳が整理し、まとめ上げる。そのような、意識的にはコントロールできない無意識のプロセスが関与してくるのです。 p.42

記憶についての話は創造性とも深く結びついています。創造性とは何か。一言で言うと、順次側頭葉に蓄えられていく記憶(その体験)と、前頭葉で作られる意欲や欲望のかけ算が創造性を生み出すということが、最近の脳科学ではわかっています。 (...) さて、これから創造のプロセスについて話しますが、ここで重要なのは、創造のプロセスには大きく分けて2種類あるということです。(...) ひとつはトップダウンの「こういうものが欲しい」「こういうことができるはずだ」という思い込みによる創造のプロセスです。(...) 今までに皆さんが積み重ねてきた経験は、側頭葉にアーカイヴとして蓄えられています。そこに対して、こういうものが欲しいという仮想ターゲットを強烈に設定します。そうするとターゲットに一番近いものが過去の体験のアーカイヴから引き出されてくる。これがトップダウンの創造のプロセスです。 一方、ボトムアップの創造のプロセスもあります。 (...)休眠記憶の情報論的、あるいは情動的な整理に伴ってボトムアップで起こる創造のプロセスがあります。 p.46-51

消費者がある商品について判断を下さなければならないときには、完全な情報など持ってはいません。その商品がいくらで、原価いくらで、成分はどうで、同業他社との比較においてどういう優位性を持っているかなどといったことはわからない。わからないにもかかわらず、選んでしまっている我々人間がいる。 そもそも人間とは、重要な問題であるほど不確実性にさらされながら決断する存在ではないでしょうか?(...)そのときに脳がどう働いているかというと、実は欲望を作り出す報酬系が重要な意味を持っているのです。 p.60

 現在の、商品についてブロードキャストし人々に周知する手法を「マーケティング1.0」とするなら、「マーケティング2.0」はどんなものになるのでしょう。本来であれば関連づけられるべきものがバラバラに存在する現実世界で、夢を見ることによって離れ離れになっている要素を整理統合するのと同じような意味で、関係するもの同士がだんだん近づいていくような世界を作る方法。それをブロードキャスト以外のやり方で考えることが、インターネット上の広告の将来を考える上において、極めて重大な命題になるでしょう。また、市場としてまだまだ大きいテレビのようなマスメディアの広告宣伝戦略を考える上でも、2.0へ向かう視点について考えることは、避けて通れないと思っています。 p.65-66

 また、私はマーケティング理論の門外漢なので田中洋さんのマーケティング論はとても新鮮だった。

欲求というものは「ニーズ」と「ウォンツ」と「デマンド」の3つに分けられるとしています。ニーズとは、人間の基本的な、もっと言えば自然的・動物的な要求、たとえば食欲とか性欲というものにあたります。(...)一方、ウォンツはニーズを満たす特定の商品やサービスで表現されたものです。(...)さらに消費者が買えるような形態、あるいは価格で提供されたものが「デマンド」です。 我々が広告、マーケティングと称して行っている活動とはすなわち、ニーズをウォンツに変え、ウォンツをさらにデマンドに変換することだと、ご理解いただけるでしょう。 p.83-84

 ついこの間まで「意味の消費の時代」などと言われていました。モノの消費=ブランドという意味の消費とされた時代がありましたが、それは次第に過去のものとなりつつあります。それがポスト・カルテジアン、モノや情報と人間が統合して、消費活動を行う時代へ移行する。こういった絵図が描けるのではないでしょうか。 p.99

IT技術が休息に進歩を遂げている時代においては、iPodのような(...)技術によって機械と人間が一体になってしまう、あるいは時間や空間を超えて他者と一体になる、そういった新しいアイデンティティを形成するような消費の形が出てくるのではないかと予測されます。 p.105

最後の二者の間で対談が行わている。

茂木 なぜマーケティングがあからさまに行われているとだめなのか、ということは、脳の仕組みからするととても面白い問題です。欲望は、その欲望が由って来るシステムを意識しないで済む方が美しいと感じるし、マーケティングも消費者にそれと意識されないときの方が効果的。これはマーケティングの本質を考える上でも、また、人間の本質を考える上でも、重要な認知問題のような気がします。田中 加えて、今まで単に「意味」だけでやっていたのが、もう少し人間の脳に備わった働きに着目し、それを利用するような技法につなげていくことができれば、新しい「ニューロマーケティング」が生まれていくのではないでしょうか。 p.117

茂木 欲望論の本質ともつながると思うのですが、僕は過去数年間、感情というのは不確実性に対する適応戦略だというシナリオの下に研究を進めてきました。何が起こるかわからない、正解が決まっていない状況の下での「決断」を支えるのが感情であると。それに加えて、最近、感情をかき立てられるものには、別の次元があるということに気づきました。何かというと、不可能、無限、断絶。それが消費欲望論とものすごく深く結びついていることを、改めて感じています。(...) この大衆消費社会において、そういう不可能なものに対する憧れがいかに機能しているか。それを明らかにするのは、マーケティングにおける大きな命題です。 p.129-131


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