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学校って何だろう(苅谷剛彦)【書評#174】

著者が中学生に向けて「そもそも学校とはどういうところか」という問題を提示した本。

この本ではさまざまな問題が提起されている。なぜ、制服はあるのか、なぜ教科書ですべての生徒が同じものを勉強しているのか、なぜ、校則は守らなければならないのか。

これらの問題に対する答えは明確には書かれていない。あくまで、問題提起のための本である。

私自身、本の中で出てきた問題に対して明確に答えをもっているわけではないし、今後も答えられるようになれるかは難しい。ただ、学校教育の問題はどの時代でも重要課題の一つである。これからも定期的にこのような本を読んで教育についての理解を深めたい。

 教室という空間の発明は、こうやって、少数(あるいは一人)の人が、おおぜいの人をコントロールしながら、知識を伝えることを簡単にしました。「前を向きなさい」が、「集中しなさい」につながる。教室の向きには、そういう「一人対多数」の関係が隠されていたのです。

p.44

ほかの人の迷惑になるかどうかではなく、学校や先生に対する態度を示すサインとして、校則を守っているかどうか自体が見られている。「正しい行動」であるかどうかよりも、「正しい態度」を見るためのひとつの物差しが校則なのです。

p.86

校則を守るか守らないかということの背景には、このような先生と生徒との力の関係があるのです。先生が校則を守らせようとするのも、先生の側の力が強いことを示すため。そして、先生の力が強いことで、学校のまとまりがつく、と考えられているのです。

p.90

 学校というところは、秩序を重んじる場所です。秩序というのは、まずは、自分たちのまわりの世界をどのように区別し、そうやって区別された人やモノやことがらを、どのように関係づけるかによって成り立っています。ですから、区別のしかたを変えてみるだけで、自分と世界との関係も変わってくるのです。

p.143

 学校の責任範囲が広がっていった理由の一つは、学校に比べて、ほかのところの責任が小さくなったことと関係があります。欧米では、人の生き方に関する基本的な考え方について教えるのは、学校より教会などの宗教の役目だと考えられてきました。それに比べ日本では、宗教の影響はあまり強くありません。

p.161


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