見出し画像

脳と仮想(茂木健一郎)【書評#148】

脳科学者茂木健一郎さんの比較的初期の論稿集。 脳科学といえば科学の一つの分野であり、科学的アプローチが主に使われている。 科学的アプローチでは統計学的手法に基づき、物事を説明する際に、定量的にものを考えていくべきという考え方が主にとられている。

この世の全ては、数で表せる。世界の中の物質の位置は、数で表せる。その重さも数で表せる。その、数と数との関係が、方程式で書ける。そのような数と数との関係で、この世界の物質の客観的なふるまいは、全て書き尽くすことができる。 これが、近代における、科学的世界観だったのである。 p.21-22

しかし、それでは全ての世界を見ることができない。小林秀雄はものの数量的な側面のみから思考する科学に警鐘を鳴らす。

 しばしば、近代科学は、経験的データを重視するという意味で、「経験主義科学」とも言われる。しかし、右のような科学的世界観は、必ずしも私たちの経験の全てを引き受けているわけではない。それにも拘わらず、世界全体を覆い尽くすかに思えるほど強大である。その点にこそ、小林が向かい合った敵の手強さの正体があった。 p.21

そして、茂木さんが研究する心脳問題の大きな核であるクオリアもその定義上、定量的に説明することが困難なものだ。クオリアはものの質感を感じるときに生まれる感覚で、今のところこれを定量化することはできない。したがって、脳科学者の中にはクオリアに否定的な意見を持つ方もいる。 しかし、実際脳のはたらきを全て定量的に求めることは私の直感的には難しいと思われる。人間はまるで自由意志を持っているような所作をする。(実際に「自由」意志であるかはここでは考えない。) もし、全て数量的に表せるなら意志の自由性は存在せず、全て物理現象に還元されるような説明ができるだろうが、なかなかできるようになるとは思えない。どうしても意識の問題には科学的アプローチ以外の方法も必要になってくる。実際、オーストラリアの哲学者チャーマーズも意識の問題を科学だけでは解けない「ハードブロブレム」に分類している。この問題には哲学、文学など人文学的思考も必要になってくるだろう。 大学で物理を専攻する私にとっては、無意識にこの世の全てを科学的に考える傾向があるが、その他の観点からも世界を捉えてく素養を身につけていかなければならない。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?