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【ユリイカ2020年7月号 特集=クイズの世界】うえこーの書評#99

クイズ王とは何者なのか?(伊沢拓司×徳久倫康×司会=田村正資)

 クイズの歴史をテレビの歴史とみなし、その変遷を辿った対談。たしかに、テレビでは、様々なクイズ番組が放送されているが、年代ごとに分けると新たな見方ができるところが面白い。
 現在放送さえている『東大王』や『頭脳王』にも言及されている。『頭脳王』は製作者から「正解しても笑顔にならないでください」と指示されていることや、「『東大王』という「破廉恥」な題名にも関わらず、そのタイトルから想像される番組内容にはなっていない。」ということが書かれている。

道なき道を行く(田中健一)

 書き手は「クイズ王」でもあり、「クイズ作家」でもある。二つの活動がどちらも影響を及ぼしあっているらしい。

クイズの持つ「暴力性」と、その超克――いかにしてクイズ文化を理解してもらうか(伊沢拓司)

 クイズが強いのは決して知識でマウントをとりたいからではない。また、クイズプレイヤーが超人的な速さで解答できるのは、「データベース」が存在し出題の傾向が分かっているからであって、訓練の賜物である。クイズに強い人を天才のように演出するテレビ番組も多いがあくまで、クイズに対して脳が強化学習されているからだということを意識しなければならない。

競技クイズとはなにか?(徳久倫康)

 2019年に「新・一心精進」でで告知されたイベントが269ととてもたくさんあることに驚き。

予感を飼いならす――競技クイズの現象学試論(田村正資)

 直感的で非論理的な部分を含む早押しの瞬間を哲学的に考察した文章。クイズプレイヤーではない私でも、どのようにクイズプレイヤーが考えて押しているかが少し垣間見えた。

クイズ作家の「作家性」はどこに宿るのか(日髙大介)

書き手のクイズ作家としての矜持が書かれている。どんな問題が良問とされるかが書かれている。

クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体(郡司ペギオ幸夫)

 問題と解答の間を排他的なものにするか、遊びを持たせるか。クイズの論考でここまで考える人がいることに驚き。

コンピューターとクイズの微妙な関係――質問応答システムの歴史から(小山虎)

 コンピュータでクイズの解答をさせるのは高度な人工知能がいるが、その研究の恩恵は少ない。対して、コンピュータに出題させるのはあまりにも簡単で人工知能の発展には関わらない、ということが帰結。残念ながらクイズとコンピュータは相性が良くないようだ。

問題がモンダイなのだ――問題学序説クイズ篇(山本貴光)

 最初の対談ではテレビの歴史をクイズの歴史として話が展開されてきた。しかし、ここではより話が広がり人類の歴史を広い意味での問答の歴史として捉えることの提案している。文章中の例にもある通りソクラテスも対話を大事にしていたし、推理小説も犯人を当てるクイズだとみることができる。新しい視点だと思う。

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