【雑感】振り返りが、自分を育てる
誕生日が過ぎて約2週間。
27歳の実感はあまりない。
しかし20代が終わろうとしている感覚は、25歳の誕生日を迎えてから、ずっと残っている。
毎日が、本当にありがたいと思う。
今日は、振り返りについて話したいと思う。
話したいと思うといっても、僕は振り返りが昔から苦手だ。
振り返っても、前に進む実感が持てなかった。
その感覚を知れたのは、ライターになってからだった。
僕は今、ライターコミュニティの「ライターン」に所属している。
ライターンには、今日の目標ややったことを共有する場があり、みんながスタンプを送り応援しあったりと、とても賑やかだ。
僕は5月に入会してから1度だけ書けなかったが、それ以降、ずっと書き続けている。
とくに、今日やったことを書くのは本当に大切だと知った。
本は、あとで誰かにその本を紹介するつもりで読むのがいいと、数年前なにかの本で学んだ。
理解をするだけでは、使える知識としてインプットできないからだ。
ラーニングピラミッドでも、他の人に教えることが一番学習効率がいいとされている。
実感として持っている人も多いのではないだろうか。
自分の好きなものを誰かに話すとき、それはより強固な知識として自分に定着する。
僕はこのプロセスと日々の振り返りは、似ていると思う。
振り返りは、過去の自分との対話である。
過去の自分として残っている記憶を、今の自分に提示すること。
これは、自分の生きたあかしを自分に刻むプロセスだといえる。
過去とは何か?
過去とは、自分が認識して解釈した出来事である。
同じ出来事があっても、それは人それぞれ違う過去になる。
過去に価値はあるのか?
それは自分が、価値があると解釈するか次第である。
ここでは便宜上、過去には価値があるとしよう。
価値のある過去を振り返らなければ、どうなるのか?
エビングハウスの忘却曲線が示すように、僕らの記憶は儚く、もろいものである。
大切な日々は、今の自分が歩んできたたった一つの道は、どこかへ消えてしまうのだろう。
僕はそれが、とても寂しいと思うようになった。
だから、振り返る。
だから、毎日がありがたいと思う。
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