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人生で初めての脱走

 脱走をしたことがある。
中学二年の時に、一回だけ。最初で最後の脱走だ。

 誤解のないように一応言っておくが、あくまでも脱走とは学校からの『脱出』の比喩であって、刑務所からの正式な脱走のことではない。

 これまで一度も脱走をしたことのなかった僕が、どうして中学二年にもなってそれを決行したのか?
間違っても、中二病に目覚めたわけじゃない。

 その日、僕は給食当番だった。
給食当番とは、あらかじめ決められた数人の生徒たちがクラス分の給食を運搬し、配膳する交代制のシステムのことだ。
本当に合理的なシステムだ。合理的過ぎて笑ってしまう。

 掃除もそうだが、子供を強制的に労働させる日本の教育は間違っていると僕は思う。
道徳のためとか健康のためとか伝統のためとか、色々と綺麗事を並べ立ててはいるけれど、実情は単に経費を節約したいだけのことだろう。
要するに日本の教育は、無賃労働を正当化しているのだ。囚人でさえ、少ないながらも賃金が支払われるというのに。

 話が逸れた。
その日、給食当番だった僕は二時間目の時点で、あることに気がついた。
給食着を忘れている!

 すぐに僕は決意した。脱走しよう。
脱走して、家まで給食着を取りに行くのだ。
幸いにして、僕の家は中学校から伸びる坂道のすぐ先にある。
間に合う。授業と授業と合間の休み時間を利用すれば、余裕で間に合うはずだ。

 授業中、僕は脱走のルートを考えた。
学校から出る方法は、大きく分けて三通りある。
正門、裏門、西門だ。

 正門は体育館の近くにあるから、そこを出入りする生徒や教員に目撃される可能性が高い。却下だ。
裏門は校庭の先にあって、教室から大勢の人間に目撃される可能性があるから、これも却下。

 残るは西門だが、これは上記の二つと対照的で、恐ろしく目立ちにくい。
西門は普段から施錠されているため、誰かが門を潜ることはないのだ。
そのため、西門の付近は人の気配が微塵もない閑散とした空間となっている。

 しかし、厳密には西門は通ることができた。
門と地面の間に、高さ三、四十センチほどの隙間があり、そこを潜っていけば学校から出ることが可能なのだ。
必然的に、僕の脱走のルートは西門に決まった。

 授業が終わると、僕は急いで教室を後にして、校舎の外に出た。
その際、どういう経緯か忘れたが、事情を知った友達のOも一緒についてきていた。

 誰にも見られずに西門に着いた僕は、匍匐の体勢になって門の下を潜り抜けた。
脱走成功だ! 
小学生の時に経験していなかったことが経験できて、軽く感動した覚えがある。
そして門の先にいる友達のOを残して、僕は坂を全速力で下った。

 家に着くと、給食着を手にし、僕は再び西門まで向かった。
さっきと同じように匍匐で門の下を潜り、それから何事もなく教室に戻ることができた。
この一連の流れ、実際にやり遂げるまではかなり緊張感があった。

 だけど僕の脱走は-友達のOを除いて-誰にもバレることなく、無事に計画を完遂できたのだ。
これはなかなか有意義な経験になったと思う。

 そして僕は、給食当番という名の強制労働に従事することができた。
その日の給食は、きっと達成感を味わいながら食べていたと思う。

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