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ショートストーリー「空飛ぶ少年兵」

 眠れなかった。
 ベッドの上で毛布にくるまってから何時間も経つのに、まだぼくは夢の世界を訪れることができなかった。

 きっと、幽霊がいっぱい出てくる映画を観てしまったせいだ。就寝前にそんなものを観るから、恐怖が眠気を上回っているのだ。
 まるで深い深い森の奥で、捨てられておびえた子犬になった気分だ。
 冴えた目で、天窓に四角く切り取られた星空を見つめながら、そんなことを思った。

 ふっと短く息を吐き、瞼を閉じて、宇宙のことをイメージする。
 やがて、だんだんと意識が遠のきそうになる感覚を抱くものの、コツン・コツン・コツンと窓を叩く音がしたことで、意識はすぐに現実に引き戻された。

 コツン・コツン・コツン。規則的な音が、真夜中の部屋の静寂を切り裂く。
 コツン・コツン・コツン。一定のリズムで音が鳴る。

 ぼくはベッドから起き上がり、窓の側に近寄った。それから、「子供たちの秘密基地は?」と平板な声で問いかける。
 するとカーテンの向こうから、「恐ろしく広い宇宙の果て」と聞き覚えのある声で返ってきた。
 カーテンをしゃっと開けると、小さなバルコニーには♤が立っていた。
「やあ、開けてくれないか、チャーリー。ここは少し冷えるよ」と♤は片手を上げて、軽い調子で言った。

 ぼくは窓の鍵を開け、彼を部屋に入れてやった。部屋には春が恋しくなるような冷たい空気が流れ込んできたから、すぐに窓を閉めた。
「こんな時間に一体何の用だい?」とぼくは訊いた。
「軍から、君を戦地に連れてくるようにと命令が下った」と♤は答えた。
「どうして?」
「戦争を終わらせるためだよ」
「ぼくが行ったところで、何かが変わるとは思えない」
「いや、君には特別な才能がある」と♤は言った。「マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマハトマ・ガンディーやチェ・ゲバラと同じような才能がね」

 ぼくは首を横に振った。「買い被らないでくれ。そんな偉人たちと並べられても、ぼくは何も変わらないよ」
「違う。君だけが、最後の希望なんだ」
「買い被らないでくれって言っただろ。それに、もうひとつの地球で起きてる戦争のことなんか、ぼくには関係ないはずだ」
「いいや、関係あるね」と♤は言った。「いいかい? あっちの地球が終われば、今度はこっちの地球が危ないんだ。天秤のようなものだと思ってくれ。ふたつの地球は、ちょうどいいバランスで釣り合ってなくちゃいけない。均衡ってやつさ」
 ぼくは何も答えなかった。目線を下げ、闇に埋もれたカーペットの床を見つめていた。

「もう一度言うよ、チャーリー。世界を救えるのは君だけだ」
 ぼくは顔を上げた。暗い部屋の中では、♤の表情はうまく読み取れなかった。泣いているようにも笑っているようにも見えた。
「わかったよ、♤」とぼくは答えた。「ぼくを戦地に連れていってくれ」

 バルコニーに出ると、小型の宇宙船が浮かんでいた。正八面体の形をしていて、最大で六人しか乗れないやつだ。
 ♤に手を引かれ、ぼくは宇宙船に乗り込んだ。♤がコックピットの操縦席に座ると、僕はその隣に座った。
「向こうに着くまでにどれくらいかかる?」
「四十六時間ってところかな。一度宇宙に出て、地球の近くにある虫食い穴を通る。あっちの地球に降り立つと、船を基地に停泊する。戦場までは列車を乗り継いで、最終的には車に乗っていく手筈になってる」

 宇宙船はどんどん上昇し、夜空をものすごい勢いで駆け抜けていく。
「♤、ぼくは不安だよ」
「大丈夫だよ。君ならやれる」
 ♤にそう言われると、なんだか本当にそんな気がしてきた。

〈了〉

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