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固定観念についての考察

 普段から、僕は固定観念を持つことをできる限り避けている。
無条件にこれはこうあるべきだ、というような断定的な主張や意見はしたくないのだ。

 座右の銘という観念がある。
僕はこれについても、意識的に持たないようにしている。

 なぜなら座右の銘を持ってしまえば、その考え方が不変的に正しいと認識してしまい、身動きが取りづらくなるからだ。
(あくまでもこれは僕個人にのみ当てはまる意見だ)

 その時の状況や情勢に応じて、臨機応変に自分の行動を選択していきたい。
だからこそ、座右の銘という存在は自分の中で足枷になってしまう。

 つまり、座右の銘とは固定観念と本質的に変わらないのではないだろうか。

 昨日から今日にかけて、noteにおける僕の投稿がきっかけで、ある方とかなり長い時間議論をした。

 正直な話、そこまで噛みつかれるような内容だとは思っていなかったので、-公平に客観的に中立的に書き記した内容だと思っていたので-自分の投稿にここまで否定的な意見をされて、個人的にかなり驚いた。

 主に国際秩序の定義について、議論を交わした。
その人は国際秩序のことを、「国家間のパワーバランスによって決まる平衡状態」だと定義したが、今の今まで世界が平衡、均衡したことなんて一度でもあっただろうか。
ハナから均衡なんてしていないからこそ、ロシアはウクライナに侵攻できたんじゃないか?
彼はそれが絶対的な真実だというように主張をしていたが、そのことには全くもって頷けなかった。

 それにその人は、時代によって国際秩序は乱れるのが前提だとも主張した。
国際秩序が乱れるのならば、国際秩序の『定義』も乱れるのではないか。
そして彼は何百年も前から貫徹して同じ定義が適用されていると、言ったのだ。
それはあり得ない。時代によって国際秩序が乱れるのならば、その定義も同様に変化するはずだ。
だから彼の言うことは論理が破綻していると思ってしまった。

 大学教授の意見は理解できるし共感できるけど、その人の意見には理解、共感できない要素が多過ぎた。
普段、直接的(対話的)に政治や国際情勢についての見識を聞く機会は大学教授からしかなかったので、そこのギャップもあったかもしれない。

 僕は国際秩序の定義は国や個人によって変化するものだと考える。
中国政府が日本とアメリカに対して、「国際秩序を定義する資格がない」と発言していることからも、国際秩序の定義が国家間で共有できていないことは明らかだろう。

 傾向として、上の世代の方々は、下の世代に対してつい説教めいたことを言いたくなるのだろうか。
自分の考えは正しい、だからその正しさを他人に教えてやらなくてはならない、といったような驕りがあるんじゃないのかな。
実際、その方のコメントでもやたらと上から目線の姿勢が垣間見れた。
(こういう人と議論するのは心理的に苦痛だし、できることならあれが最初で最後にしたい。文章が無駄に長くて、纏まりを欠いている。本当に議論したいのなら、簡潔に纏めるのが筋じゃないのかな)

 色んな意見、主張、価値観があっていいじゃないか。
どうして一つに限定したがるんだろう。
そこまでして相手に自分の意見を理解させようと、納得させようと固執する理由は?

 自分が教師という存在を好きになれないのも、そこにあるのかもしれない。
自分が普遍的に正しいと思い込んでいる(固定観念がある)からこそ、生徒に対してあんなに高圧的な態度に出る教師が多いのだろう。

 学校内での体罰が起きる理由も、指導する教師が善で指導される生徒が悪だという対立構造を無意識に設定しているからではないか。

 僕は体罰(というかただの暴力)は絶対に容認してはいけないと思う。
ひとたび学校『外』で他人を殴れば、傷害罪で即刑務所送りなのに、どうして学校『内』ではそれがある程度許される風潮があるんだろう。
あんなのは指導でも教育でもなんでもない。犯罪だ。
大人が子供に対して、『教育』を言い訳に犯罪を行なっているだけだ。

 学校とは本当に閉鎖的で不条理な世界だと思う。
生徒の多様性を認めようとせず、画一的に管理したがる日本の教育は、時代遅れで腐っているとすら思ってしまうくらいだ。

 僕は子供の頃から、固定観念を押し付ける大人(主に教師)が好きではなかった。
多様な個人の考え、価値観を認め、尊重する大人こそが尊敬できた。

 自分が大人になった今、自分が嫌いだった大人には絶対になりたくない。

 この文章を通して、僕は自分の意見を誰かに分かってもらいたいとは微塵も考えていない。
ただ自分の想いを思いつくままに、書き連ねただけだ。

 最後に、僕が好きなイギリスのロックバンド、OasisのWhateverの歌詞をここに記したい。

Whatever you do
Whatever you say
Yeah you know it's all right

 個人の意思、多様性を尊重する素晴らしい歌詞だと思う。

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