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掌編小説「1984年のサンセットサイダー」

 夕方のニュース番組は、ロサンゼルスオリンピックの様子を報道していた。

 真面目そうな三十代前半くらいの女性アナウンサーが、今日は日本の誰がどの競技で何色のメダルを獲得し、どんな感想を述べたかといった客観的な事実を簡潔に伝えていた。

 僕はテレビの向こうの彼女が読み上げる選手の名前を誰一人として知らなかったから、特にこれといった興味を抱かなかったし、どんな感慨も覚えなかった。

 僕が知っているのは、今回のオリンピックはソ連を筆頭に、東ドイツ、ポーランド、ハンガリーといった東側が不参加となり、冷戦の対立構造が強く反映された大会だということぐらいだ。
 まあ、それは前回のモスクワ五輪でも同様のことではあるのだが。

 テレビの画面はコマーシャルに切り替わり、若手のアイドル歌手が水着姿で、ユウヒ飲料のサンセットサイダーを晴れやかな笑顔で宣伝していた。『はい、一本どーぞ。サンセットサイダー!』
「わたし、このCM嫌いなのよね」と彼女が頬杖をつきながら、退屈そうに言った。
「どうして?」と僕は訊いてみた。
「だって、すごくやらしいカッコしてさ、馬鹿みたいじゃない。ハレンチにもほどがあるわ」
「確かに、清涼飲料水の広告にしてはやや清廉さに欠けるかもしれない」と僕は概ね同意した。

「ユウヒ飲料なんか嫌いよ。サンセットサイダーもトワイライトソーダも嫌い。下品なCM、下品な味よ」
「そうかな」と僕は言った。「味はそんなに悪くないと思うけど」
「あなたはマクドナルドばかり食べてるから舌が馬鹿になってるのよ。正常な人間なら、あんなに着色料をふんだんに使った不健康な液体をありがたがって飲まないもの」と彼女は断言した。
「それは一理あるかもしれないね」と僕は部分的に肯定した。
「ユウヒ飲料なんて潰れてしまえばいいのよ」
 僕はよく冷えたハイネケンのグラスに口をつけ、冷奴の角を箸でつまんで口に運んだ。

 網戸だけになった掃き出し窓の向こうから、控えめな蝉の声が聞こえ、涼しげな風鈴の音色を柔らかな風が運んでくる。僕は夏のこの時間帯が一番好きだった。
「そういえば」と彼女は言った。「今夜、近所の神社でお祭りがあるらしいの。行ってみない?」
「ああ、いいね。行こうか」
 僕がそう答えると、彼女はとても穏やかに微笑んだ。

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