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「漫画少年」(学童社)の志は劇画雑誌にも生きていた

「漫画少年」の投稿欄は、漫画家を目指す

少年たちのあこがれの場所でした。

投稿作品が入賞して漫画家になった人も

たくさんいます。

藤子不二雄のふたり、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、

高井研一郎、辰巳ヨシヒロ、桜井昌一、

寺田ヒロオ、松本零士などなど、書ききれません。

和田誠さんや筒井康隆さんも投稿者でした。

「漫画少年」は惜しくも、

1955(昭和30)年10月に出版社の学童社の

倒産により、幕を閉じてしまいました。

ただ、「漫画少年」の投稿欄の「命」は

他の雑誌にも引き継がれました。

辰巳ヨシヒロさんが「『漫画少年』史」に

寄せた文章にこう書いています。


「昭和24年7月号(「漫画少年」の)に、

はじめて二枚のハガキマンガが入選してからの僕は、

まさに漫画投稿狂になってしまったようだ。」

「僕はその後、貸本マンガの世界に進んだが、

昭和33年頃からの短編集形式の貸本ブームを

起こした『影』や『街』でも、

このアイディアを頂戴して、

十数ページの誌面をさいて、

新人杯や新人コンクールを企画して成功させた。」

実際に「影」の新人漫画コンクールからは、

「ドカベン」「あぶさん」の水島新司さんが

輩出されているのです。

「漫画少年」の投稿欄がなかったら、

日本の漫画の発展はなかったのかもしれません。


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