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戦後の漫画文化を支えたのは、赤本漫画です。

40万部売れたといわれる、

手塚治虫の「新宝島」(育英出版)も赤本です。

赤本漫画の原稿料と、出版社の儲けについて書きます。

「週刊朝日」(1949年4月24日号)の記事と、

竹内オサムの「戦後マンガ50年史」を参考にしています。

目次

漫画家の原稿料
出版社の儲け
まとめ

【漫画家の原稿料】

印税方式ではなく、「原稿料」でした。

40万部といわれている「新宝島」(1947年発行)で

手塚治虫も原稿料でした。

はじめに3,000円もらって、重版しても追加はないのです。

1949年の「週刊朝日」の記事では、

原稿料は10,000円が普通だったといいます。

64ページの漫画で2,000円~30,000円の幅でした。

戦前からの大御所をのぞいては、

漫画家の扱いは「先生」といったものではなかったのです。

漫画家の募集方法もすごいものです。

「まず原稿募集を夕刊紙あたりに出せば、二、三十は集まるし、

紙芝居屋や学生アルバイトの売込みなどもやってくるので、

原稿にはこと欠かないというのである。」

【出版社の儲け】

収支について、です。

「B6判64ページ、初版10,000部、定価60円」で

計算します。

・一色刷り ・表紙4色

・原稿料10,000円 ・製版(描き版)20,000円

・紙(仙花紙)70,000円 ・印刷代 70,000円

これまでの累計は、170,000円です。

一冊の原価は17円となります。

定価60円で、取次には6掛(60%)で卸します。

出版社に入ってくるのは一冊につき36円。

36円から原価17円を引いた19円が、

出版社の儲けです。

10,000部を発行しているので、

10,000円 × 19円 = 190,000円 です。

1949年の大卒初任給は4,000円ほどですので、

ばく大な金額です。

ただ、ことは簡単にいきません。

取次からの入金は半年後(いまも変わりません)ですし、

返本もあるのです。

売れ残りは、地方の農村に特化本として安く売られていったといいます。

税金について書き忘れましたが、

住所が奥付にない赤本もたくさんあったといいます。

つまり、税金を払わないにわかの出版社もたくさんあったのです。

【まとめ】

赤本漫画は、漫画家の集め方もいまとは全くちがいました。

原稿募集を夕刊紙に出せば集まったというのです。

出版社も、税金を支払わなかったといいます。

こういった状況だったからこそ、

年間1,800点もの赤本漫画が生まれ、

子どもたちの娯楽である漫画文化が育ったのです。

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