プロデューサーが語る映画『エス』

 私がプロデュースした『エス』という映画が現在アップリンク吉祥寺で公開中です。
 おかげさまで動員も順調で、その上フィルマークスや映画.comでも軒並み高い評価をいただいています。映画に寄せられた感想を読んでいると、それぞれに物語があり人生があるのだなと胸が熱くなります。せっかくなので私も『エス』にまつわる私の物語を書き残しておこうと思いました。
 
 いや、満席になったとか高い評価を得たと言っても、あくまで頑張ったのは太田監督なので、私が特に言うことはないんです。映画に例えるなら太田監督がロッキーで私はトレーナーのミッキーみたいなものなので。ですがまあ、私なりにリングサイドからサポートした立場として少し『エス』のことを。
 この映画を作っている最中、たびたび私はある曲のことを思い出していました。浅川マキの『それはスポットライトではない』です。
 
 太田監督と最初に知り合った時、彼は目をキラキラと輝かせた青年でした。いや、ギラギラと言ってもいいかもしれません。これから日本映画界でのし上がってやるぞという自信と気迫に満ちていました。
 私と太田監督の出会いは2009年の5月。当時私はアップリンクの社員で(その頃アップリンクは映画館経営の他に配給やDVDの販売まで色々やっていた)、その業務の一つが映画制作ワークショップの事務でした。そこに応募してきたのが太田監督だったのですが、ただしその時点ですでにセミプロというか何本も短編・中編映画の監督経験があり、映画祭での受賞歴もあるという異色の生徒でした。
 そして話を聞いていくうち、大きな映画祭での受賞を足がかりにメジャー進出の一歩手前まで来ていることも分かり、その後押しも兼ねてアップリンクで太田監督の特集上映を組むことを決めました。それが確か2010年の年末。翌年の4月に『太田真博特集上映』を開催する予定で太田監督と話し合いを進めていました。 
 正直、その時点で私は「太田監督との縁はこれきりだろうな」と心の中で考えていました。作風からしてメジャーに進出すればすぐに売れっ子になるだろうし、そうなれば我々のようなミニシアターと仕事をする機会もなくなるだろう。それはもちろん良いことだし、これまでもそうやって何人もの若手監督がアップリンクを通過してメジャーに活躍の場を移していきました。また今回もその最後に背中を一押しする役割ができればと。
 
 2011年2月、私も太田監督逮捕のニュースはネットで知りました。まさかあの太田監督?それとも同姓同名の別の監督?しかしそれから太田監督と連絡が取れなくなり、やはりあの太田さんのことだったのかとじわじわ実感が湧いているうちに何となく『太田真博特集上映』の話は立ち消えとなりました。
 
  もしも光がまたおいらに
  あたるならそれをどんなに待ってるさ
  ずっと前のことだけれどその光に
  気づいていたのだが逃しただけさ

 『それはスポットライトではない』という浅川マキの曲は“It's Not The Spotlight”という海外の曲のカバーです。ロッド・スチュワートの歌唱でお馴染みですが、元々の作詞はジェリー・ゴフィン。キャロル・キングとのコンビでお馴染みのあのゴフィンのペンによるロマンチックなラブソングです。
しかしこれが浅川マキの手にかかると、ただのラブソングではなく、一度道を踏み外してしまった人間の嘆きの歌のようにも聴こえるのです。
 
  もしも光がまたおいらに
  あたるならそれをどんなに待ってるさ
  ずっと前のことだけれどその光に
  気づいていたのだが逃しただけさ
  だけど再びいつの日にか
  あの光がおいらを照らすだろう

 2015年、私は久々に太田監督からメールをもらいました。『園田を元気づけてやろう的な』という映画でイメージフォーラム・フェスティバル2015に入選したという連絡でした。その時私はすでにアップリンクを退職し独立していましたが、太田監督の特集上映をついにできなかったということは心のどこかに引っかかり続けていました。だからもちろん即座に上映会場に駆けつけました。
 逮捕された監督が自身のそれを題材にどんな映画を撮るんだろうという下世話な好奇心ももちろんありましたが、今になって考えます。もしあの時に観た映画が普通のよくできた映画だったら。自身の体験を忠実に再現し、後悔と反省の意を十分に尽くした免許更新の時に見せられるビデオのような作品だったら。感動はしたかもしれませんが、のちに私が太田監督の映画をプロデュースすることは無かったでしょう。
 しかし実際にその時に私が観たものは、どこからどう見ても「太田真博の映画」でした。逮捕前の作風と何一つ変わることのない。本音の周りをぐるぐる迂回し続ける会話や本気とも冗談ともつかない捻った視点、そしてあの独特の意地悪なユーモア。
 太田監督には申し訳ないですが、その時ようやく私は「この人の才能は死んでいない!」と気づきました。「この人の目には、初めて会った時のあのギラギラした輝きがまだ宿っている」と。

  あの光そいつは古びた街の
  ガス燈でもなく 月明かりでもない
  スポットライトでなくローソクの灯じゃない
  まして太陽の光じゃないさ

 太田監督の目に宿っていた光。浅川マキの歌詞を借りるなら、それはスポットライトではありませんでした。古びた街のガス燈でもなく月灯りでもなく、もちろんタングステンでもL E Dの明かりでもありません。私が太田監督の目の中に見た輝きの正体、それが何だったのかは『エス』をご覧になった皆さんならすでにお分かりでしょう。
 『それはスポットライトではない』の歌詞はこう続きます。
 
  あの光そいつはあんたの目に
  いつか輝いていたものさ
  またおいらいつか感じるだろうか
  あんたは何を知ってるだろうか
 
 それからまた時が流れて2022年、アップリンク渋谷で途切れてしまった物語を、アップリンク吉祥寺でもう一度始めるために太田監督と私が立ち上がることになるわけですが、それからのことは劇場で販売中のパンフレットに監督が詳しく書いているので私が語れるのはここまで。 
 最初にロッキーに例えたから言うわけではありませんが、今回の映画公開もロッキーの一作目と同じようにあらかじめ負けると分かっている戦いでした。仮に映画が大ヒットしても、評論家の方から高い評価を得ても太田監督のしたことは消えません。罪が無かったことになるわけでもないし、時間が事件以前に巻き戻るわけでもありません。
 しかし、負けると分かっていても最終ラウンドまでリングに立ち続けた、そのことが太田監督のこれからを作るのだと思っています。
 『ロッキー』のラストの試合で、会場に詰めかけロッキーに声援を送った観客たちと同じように、皆様もぜひ映画館へ足を運んで太田監督に声援を送って頂ければプロデューサーとしては望外の喜びです。

#映画

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