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私の中の保育園

保育園に通っていた自分を思い出そうとしても、はっきりと思い出せないことの方が多い。

すでに子どものいる友人が、「私が保育園のころ~」とか「あこがれていた保育園の先生が~」とか昔の思い出を語りながらも自分の子どもの保育園のころを話してきた。その友人の中にはしっかりと、自分を形成している要素の中に保育園というものがはっきりと確かに存在していた。

私にも保育園に通っていた時期はあった。自分にも保育園に通っていたころのことが今の自分に影響しているのだろうか。それを確かめるためにも、保育園に通っていた自分をまず落ち着いて思い出してみる。

まず、保育園は父が送り迎えをしてくれていたことが多かった。母親は仕事の都合で朝早く出かけてしまうので、自営業の父が毎朝保育園に送ってくれていた。朝ご飯を食べ、身支度を整えるとき、時たまに父が母の化粧台にあるムースをべっとりと髪につけてくれていた。スプレー缶からムニョムニョと出てくるムースの泡が自分の髪についていることが、ほかの子よりも先に行っている感じがしてとてもうれしかった。そして、父が、小鍋に牛乳とインスタントコーヒーを入れて作った甘い甘いコーヒー牛乳を飲んで保育園に向かっていた。

保育園の帰りも父が迎えに来てくれていた。父は保育園から帰る途中、自分たちの友人たちが集まる場末の汚い喫茶店によく連れて行ってくれた。そこで父はしばらく据え置きのゲーム(インベイダーゲーム?のようなもの)を友人たちと楽しみ、私は喫茶店のお姉さんがつくってくれる、よく塩の効いたおにぎりを食べるのが大好きだった。

保育園の生活はどうだっただろうか。

本当あまり覚えていない。かすかにある記憶だけ書き記してみる。

①小さなころに気に入っていたスカートがあった。どうしてもそのスカートをはきたかった私は、自分の体形よりも相当小さいスカートをはいて登園した。もちろん体に合っているわけでもなく、スカートが短すぎてパンツが見えていたのだろう。先生が「ちゃんと大きいスカートをはいてきてね」と言われてしまった。

②カバンを開けたらお弁当が入っていなかったので、クラスのみんなから少しずつおかずを分けてもらって事なきを得た。

③プロ野球が好きな先生にみんなで「野球の話をして」とせがんだが、先生は「みんな、野球のことそんなに知らないでしょ」といったので「知ってるよ、ヤクルトでしょ」と自分が持ち得るすべてのプロ野球の知識を披露した。

④習い事がある日だったので、いつもよりも早く帰らないといけないので、みんなより早めにおやつを食べて、父のお迎えを待っていた。しかし、いつまでたっても父は来ず、いつもの帰りの時間を過ぎても父は迎えに来なかった。結局、みんなが全員帰り終わるころにようやく父が迎えに来た。このようなことは保育園に通っているころ数回あった。(そのうち数回は急な仕事であったのだろうが、中には麻雀が長引いて迎えを忘れられてしまったこともあったようだ。)


本当に大した思い出はなかった。書こうか迷ったけど、忘れてはいけないので書き記しておく程度にする。(思い出せばまた加筆しよう)


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