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年賀状

noteサーフィンしていると色々な発見があり勉強になる。そこで出会った言葉が「リミッティング・ビリーフ」という言葉であった

ビリーブの間違いかとおもったが「limiting-belief」なのでビリーフでいいようだ

心のリミッター、自分が勝手に決めている価値の思い込みらしいです。詳しい事は検索くだされ。生き方に悩んでいる人は検索くだされ。そんな思い込みの一つに

年賀状出さないといけないっていうのがあったのですが私はすでに今年年賀状卒業!って書いた年賀状を出しておりますので来年の年賀状は何もしなくてよいのです(まあ、印刷は嫁さんがしておりましたが)

経緯としては連帯保証人となって(これは親に言われたからといってハンコをついた私の責任なのですが)借金が出来ても親戚誰も助けてくれない、親戚ってなあに?意味ある?となり

そんな奴らに年賀状出す必要ある?あは~ん?ぱ~どん?どんちゅーしー?ざーど?となってそういえば友人に送る年賀状も

1年に一回の年賀状だけの付き合いとなっているのに、ただ印刷だけのハガキであったり、結婚して子供出来たら写真で来てたのにひよこの時期過ぎてにわとりになったらまた文字のやつに戻ったり

上弦の友人たち(?)がことごとく離婚してしまって連名だった年賀状寂しくなったり止めるっていったり勝手に止めていたり

人がせっかく面白いコメント書いてるのに何か一言書けよ!とおもってしまい、ある年の年賀状には「おもち食べ過ぎないように!」と怒りのコメント書いたり(伝わらんやろ!)

という理由で年賀状を止めることにして卒業ってことにしたのですが嫁さんがご丁寧に親戚の分は刷ってしまったので今年は出したのです

来年は親戚の分にも年賀状終了って旨を伝えて年賀状の習慣を終わらせたいとおもいます

年賀状出さないといけないという心の思い込みを完全に壊します

もう一個

おじさん名義になっている実家をそのままにしていれば実家が無くなるそれは嫌だと弟が(いつか)買い戻すとか言ってるので

「リミッティング・ビリーフ」を早速持ち出してこの間ラーメンやら駐車場代やらお菓子やら全部おごってもらったお礼に(いつか)説教したいとおもいます

ここまできてなんですが

「リミッティング・ビリーフ」の使い方あってるのだろうか?



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