「このやり場のない気持ちをどこに向けたらいいのか?」
昨日、うちの近所の唐揚げ屋さんの前で、店員さんと客の男が揉み合いの喧嘩になっている場面に遭遇した。
しばらく静観していたのだが、客の男が店員に暴力を振るい始めたので、さすがに見過ごすことが出来ず、止めに入った。
そして、警察にすぐに通報するように店へ促すことにした。
喧嘩が始まったのは、店員が男に店のラストオーダーは終了していることを伝えた瞬間からだった。
ご飯を食べられなかった男は、午後八時というあまりにもはやい閉店時間に怒りを表したらしい。
僕が見ていたところでは、店員は丁寧に対応していたと思う。だが、それでも男は気に入らなかったのだ。
驚いたのは、あれほど怒りを表していた男が、取りおさえられ、店員が鼻血を出しているのを見た瞬間に、急にしおらしくなり、反省の弁を述べ始めたことだ。
まるで、何か悪い呪いが解けたかのように、男は普通の人に戻ってしまったのだ。
その眼には、後悔の色が浮かんでいた。
もしかしたら、この男は普段はこんな怒りを表す人ではないのかもしれない。ふと、そう思ってしまった。
どんな理由があろうと、暴力を振るうことはいけないことだと思う。
だが、コロナの影響から普段の生活が抑制される中で、同じような暴力的な怒りが、僕自身の中にも存在することを、この男の振る舞いから感じずにはいられなかった。
どこかで暴れたい、そんな気持ちが僕の中にもある。間違いなく。
警察が到着し、証人として話をする中で、警官の言葉からも、このような暴力事件が多発していることがわかった。
僕らは、何かこの怒りをどこかにぶつけたいと思っている。
ある人は、自宅で暴れる子供たちに向けているかもしれない、ある人は、対応が後手後手の政府に向けているかもしれない。ある人は、コロナの発症地である中国に向けているかもしれない。
怒りの着火点はどこにでもある。今までの生活ができなくなっただけで、店が午後八時に閉まってしまっただけで、怒りが着火するのだ。
しかし、怒りはなんの解決にもならないし不健康だ。怒りを少しでも減らすために、もしかしたら僕らは今までの生活という過去の普通を捨てるときに来ているのかもしれない。
正直、辛いなぁ、と思う。ムカつくとも思う。
飲みにもいけない、友達にも会えない、仕事はどうなるかわからない、海外旅行にも行けない…なくなっていくものを数えたらキリがない。
なぜ、こんなことになってしまったんだ、それは〇〇が悪いからだ。いったいコロナ後の世界はどうなってしまうのだろう。
怒りと不安が繰り返される。
こんな中で、僕にできることは何だろう。
ふと思うのは、今までやっていたことができなくなったのなら、何か今だけできることを始めようということだ。
「できないことを数えるんじゃなくて、できることを探そう」
これはある身体障害者の方が言っていた言葉だ。この言葉を聞いて、ずっと他人事だと思っていた自分が恥ずかしい。今こそ胸に手を当てて考えるときだ。
いったい何ができる?
猫を飼うのも、そのひとつだ。近所を散歩ばかりしているのもそうだ。新しい店を見つけて料理をテイクアウトしたこともそうだ。フレスコボールというブラジル発のスポーツをするために、Amazonでラケットを買ったのもそうだ。何か新しい仕事を初めてもいいなぁ、とも思う。今までやらなかった何かを見つけることは、そんなに難しいことじゃない。
くだらない、つまらないことでいい。うまくいかなくてもいい。
将来が不安の中でそんなことをしている暇はない、と思うなら、なおさらだ。今までやったことのない何かを始めよう。今まで考えもしなかったことを始めよう。心の健康のために、次の変化に備えるために。
新しい日常、未来の普通をつくるために、そうやって自分を励ますことにした。未来を希望で埋めるために、そうすることにした。
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