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集中力のほし。

子どもを見ていると、おおよその性質みたいなものは生まれたときに決まっているなと思う。

例えば、うちの長男はひとつのおもちゃで長く遊ぶことができないが、次男はというと、ひとつのおもちゃでずっと遊び続けることができる。

「まだ、それで遊んでたんだ」と、自分が思うほどにだからこれは明確に違うことなんだと思う。

ちなみに、どちらがいいということではなく個性の話しである。

長男の性格を簡単にいうと、「集中力がなく飽き性」ということになるのだが、それは周りがよく見えているとも言える。あれもやりたい、これもやりたいと注意を引くものが見えているし、自分の欲求に素直であるという点を考えると、親があれこれ手を差し伸べなくても自分で好きなものを発見してきてくれるんだろうなと、これからが楽しみである。

次男の性格はというと、「我慢強く凝り性」という、兄とは180度違うものを持っている。集中力の高さや、やり遂げる力が高そうだなと思う一方で、「こっちのおもちゃで遊んだら?」と、手を差し伸べないとなかなか他のおもちゃで遊んだりしない。もちろん好きでやっているんだろうから、それでいいのだが、兄と違って好奇心は高くないのかもしれないなとも思う。

先も言ったように、これはどちらがいいという話ではない。

では、いったい自分は何が言いたのか。

最近気になっていることに「集中力」という悩みがある。具体的には「取り掛かるまでにかかる時間」と「集中を継続できる長さ」のふたつがある。

ここで考えたいのは、これが自分の怠惰や衰えに起因する問題なのか、それとも、先に上げた子どものように、先天的なものなのかを考えたいと思っている。

考えたところで「集中力」はやってこないので無意味ではあるが、先天的であれば少なくとも自分の怠惰を責めなくても良くなるのではないかと思う。

うちの親が言っていたことを思い出す。「俺はエンジンがかかるのが遅い」と。

だとしたら、なんとも扱いづらい車だなと思うが、当の自分もそうかもしれないと思うから他人事ではない。集中力も遺伝するのだろうか。

遺伝するのであれば、親の仕事術をもっと学んでおくべきだったと思う。

生まれ変わったら、集中力のほしに生まれたいと思う今日だ。