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回想録 七 退職後

回想録 六、教員生活のまとめとして 子どもや学校で感じたことからの続き

退職してすぐにはやることがなく、買いだめしておいた「藤村全集」を全部読んだ。また臼井吉見の「安曇野」を読んだ。
「夜明け前」が面白かった。「安曇野」は大正の頃の長野県の教育事情が分かってよかった。

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その他、一人旅をした。

やがて、自治会の役員(五部の長)その後公民館の体育委員もやった。黄金沢の草刈りの時はビーバーでやった。
最後はマレット大会の春陽会(土屋上田市長の会)の役員をやった。
選挙の時はポスター貼りに動員させられた。

その中で右足の病で現在の上田医療センターへ10日間入院した。
その間、内山のしげ子さんの葬式や母の葬式の喪主をした。軽井沢のおじさんおばさんの葬式に出た。

父が死んでからは土屋家の長女の子なので内山の家の代表の扱いを受けた。

体育委員が主催で新田のマレット大会があり、マレットのルールぐらいは知っておこうと思い、堀井さんに薦められて、始めた。
なぜか緑が丘のチームに入り、練習も大会もした。その時の知り合いが三浦さん、松永さんや緑が丘の人とも練習や試合をした。
代表(班長)として、佐久や小諸、松本の大会にも出た。
その後、大星の会に移り、山本(先生仲間)や宮川さんとも仲良くなった。
高村さんの会にも参加。
ハーブ橋の草刈りやなにかにも出た。
なぜか春陽会では2回も優勝した。
旧市内の人たちも知り合いになれた。
「コロナ」のために大会や飲み会が中止になって、入院生活に入った。
内山中学の同級会も台風19号の後、初谷温泉でしたのが最後になった。
中学卒業以来83才まで続いた。いつも幹事としてやった。

学校だけでなく、いろいろな職業の人と接していて、人間的に丸くなったようだ。

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回想録 八、旅行の思い出 その1へ続く


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