ウエダ再興記①~私の考えの源

何の為に会社をするのか?何の為に生きるのか?に関わる私の価値観について、 私が初めに意識したのは小学校二年の時でした。

その日は、父親の帰りを心待ちにしていました。 平日の夜は、いつ帰って来るのか分からないので、寝てしまっていることも多かったのですが、その日はあることを言いたくて、待っていたのでした。
あることとは、その日学校で担任の先生から、”人間は平等であり、社長だから偉いということはなく、それは単に役割の違いだけであって偉いのではない”ということでした。
その話に、いたく感動した私は、その話を言いたくて、普段夜には顔を合わす事の少ない父親の帰りを待っていました。
するとこの日は、運よく宴席もなかったのか、私がギリギリ起きていられる時間に帰宅してきました。 帰ってくるやいなや、私は勢い勇んで父親にこの話をしました。

”社長っていうのは、役割の違いだけで偉いのではないねんて”と。

すると、父親は”そんなことはない、社長というのは責任が重いから、それだけ偉いのだ”と一蹴しました。
私はこの瞬間に父親との価値観の違いを感じ、それには反論もぜず、自分のベットに潜り込んで行ったのを鮮明に覚えています。

何故、先生の"人間は平等であり、社長や大臣や先生などというものは役割が違うだけ"という話にそれだけ感動したのか、父親との価値観の違いをそれ程鮮明に感じたのか、自分の中にどういうDNAが刻み込まれているから、そうなったのかは分かりませんが、これは私の人生において大きなウエイトを占める考え方になっていくのと共に、今までの私の考えの全ての源となる出来事であったように思います。

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