SINIC理論で大転換
今週も新型コロナで、女優の岡江久美子さんが亡くなって衝撃が走りましたが、 私だけでなく京都にとっては、週初めから、オムロン名誉顧問の立石義雄さんが亡くなったとの事で、大変なショックを受けました。
コロナがいやらしいのは、感染の問題からお別れの会などもできないという事で、お世話になった側も心の落ち着けどころもないところで、せめてブログで振り返って、お世話になったお礼にさせて頂きたいと思います。
今回のコロナで感じるのは、岡江久美子さんもそうですし、その前の志村けんさんも、広く親しまれたお人柄の方なので、その分衝撃も大きいのですが、立石さんも本当に、どんな人も惹き込まれる様な、年上の経営者には失礼な言い方ですが、”チャーミング”という言葉がぴったりの方で、立石さんの事を嫌いという人は一人もおられないのではないか?と思うほどで、あれだけの経営者で、一人も敵がいない、少なくともそんな風に感じられる方は、他にはおられないと思います。
直前の3月末まで13年に渡って京都商工会議所の会頭を務めておられましたが、私は、その会頭ミッションという海外視察で、上海、ミラノの万博には、随行の一人としてご一緒させて頂き、部屋でお酒をご一緒もさせて頂いた事もありました。
一番印象深いのは、毎年開催している京都流議定書の第三回の2010年に、”素晴らしい企業の価値観”というテーマで、伊那食品工業の塚越会長も出て頂く事になっていたので、”人”を大事にして、効率追求ではない、理念に基づいた素晴らしい経営は大企業でもやれるのだという事を示して欲しいと、その代表として、ご登壇頂けないか?と当時会長であった立石さんに講演をお願いに上がった事でした。
実はご本人は、講演などは苦手にされており、ご本人の登壇は断られたのですが、趣旨には賛同頂いて、「オムロンの理念などの継承については弟が担当しているから弟を出させよう」と、立石文雄(現会長)氏にに登壇を依頼して頂いたのでした。
この時には大変有難い事に、オムロン創業者の立石一真氏が創られたSINIC理論について、ご講演頂いていたのですが、SINIC理論は、最近でも話題になる事が多いですし、オムロンさんでも改めてこの理論の見直しをされている様ですが、過去から未来について、農業社会→工業社会、その最終段階の情報社会→最適化社会、そして2025年からの自律社会への移行を、何と1970年に体系化して発表されているのです。
現在の最適化社会というのは、効率や生産性を追い求める工業化社会の価値から、人間としての生きていく喜びを追求する精神的豊かさを求める価値観が高まるというもので、そこから自律型社会に向かっていくという理論で、それを1970年に提唱され、それがその通りになっているという事で最近でも注目を集めているのですが、むしろ現実の方が遅れていて、最適化社会から次の社会に移らないといけないのに、これまで成功して来た所が、まだまだ工業化社会の手法で牛耳ろうとして、せめぎ合いを続けて来た感じがします。
そこにこの新型コロナが現れ、長年のせめぎ合いをあざ笑うかの様に、瞬時にこれまでの価値観を崩して行っている様に感じます。
立石義雄氏が京都経済界の為に精魂傾けられた一大プロジェクトが、殆どの経済団体を集めた京都経済センターであったと思います。 その全体運営を行なう、(一社)京都知恵産業創造の森(通称:知恵森)の理事長に就任され、知恵森が運営する共創の場KOINのパートナーを務める事になった関係から、そのオープニングで登壇する事になって、その際にお目にかかったのが最後となってしまいましたが、そういう面では、大きな事を全てキッチリ終えられてのタイミングを感じます。
新型コロナでの立石さんの死も、SINIC理論にも後れを取る、世の中に対して、ギアチェンジさせる渾身のメッセージなのかも知れません。
一番古い頭、古い価値観だと露呈しているのが政治家や官僚だと思いますが、SINIC理論も学んでもらって、こんな貴重な方々の死を無駄にしない様に、自立型社会に向けて発想の大転換をして欲しいと思います。
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