制限を受けた私とウエダ本社の新たな展開
先週は東京に行ってきました。
退院後、即?という声もありますが、その分、毎週木曜日に行っていた丹後は無しにして、出張と言いつつも、ホテルでの会合だったので新幹線からホテルへ直行し、会合終わりも部屋でゆっくり過ごすという様に、しっかりセーブしていました。
たかだか9日間の入院で、本人的には病院に行った時から現在も全く自覚症状もない、至って普通の状態なのですが、あのまま自分で気づいてなければ、どこかで倒れて、ひょっとしていたかも?という事であったり、特に食と、過度に疲れることに対して制限しなければいけない、しかもこの先もその状態と付き合っていかなくてはならない身になってみると、色々ものの見方、考え方が変わりました。
これまで、色々なハンディキャップや不遇、言われなき差別の様なものへの反発から、そういう問題に立ち向かう人や団体にも多く関わって来て、自分では寄り添っていたつもりですが、自分が制限を受けるという立場になってみると、何も制限、制約を受けなく過ごしているマジョリティーの”普通”の人が”普通”にやっている行動や言動が、マイノリティーの立場からは違って聞こえたりするということを感じます。
今回、ひょっとしていたかも?という経験は初めてでしたが、何故会社を経営しているのか?どうしたいのか?について、元々私の場合、実は死生観から来ていて、そこが周りからは分からない所なんだろうと思います。
自分でも本当に面白くない人間だと思うのですが、全く無趣味で、それではダメだと何かやろうとしても心から楽しめず、他人から見れば仕事ばかりしてる様に思われるのですが、これも仕事が好きなのではなく、使命というものに向かっていると感じないと落ち着かないのです。
小さい頃から、何故この虫は生きているのだろう?すぐ死んでしまうのに生きている意味があるのか? と考える様な変な子で、それが成人してから、どんな生物も存在自体に意味があるのだ!と降りてきて、それであれば、唯一と言っても良い、知能や、意志を持つ人間というものは、その存在意義を果たさないといけないし、存在価値を高めていくことに進んでいかないといけないと思うのが、会社を経営する目的であり、会社の存在意義に拘る理由なのです。
そんな息苦しい事考えずに、もっと気楽に楽しめよ!と多くの方は思われると思いますが、こればかりは、生まれ持った”性”なのでどうしようもないのですが、そういう意味では、昨今のソーシャルビジネスや、SDGSなどのブームで、狙いでやっているのではなく、この面に関しては自信を持ってネイティブで、それだけに又、自社の為や狙いでやっている所が主流を占めると、折角出て来た芽も利用されて、結局は日本も転換できなくなる、との想いもあって、ここ最近は特に、自分が変えなきゃ!と力んでいた様にも思いますし、心筋梗塞の大きな原因になったのかもしれません(笑)
それが今回、制限を受けることになって、そもそもそんな大した能力もないのに”自分が”ではできないよ!と宣告を受けたのだと思いますし、これを機に、”自分”が周りから見て期待されていること、役割のあるところに、残っている力と時間を向けていこうと思います。
そういう意味で、色々とご一緒させてもらう皆さんには意見を聞かせて頂くこともあるかと思いますが、その際は、制限を受けることになった私と、その目を通して展開するウエダ本社の新たな展開に対して、アドバイス頂けます様お願い致します。
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