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「人生観」について書いたら新興宗教にでも入ったと勘違いされる話

※トップ写真は本文と全く関係ありませんのでご注意ください。(じゃぁ使うな)

はい、というわけで前々回「僕自身が考える「宇宙観」「人生観」「人間観」について書いてみたいと思います。」なんて書いたものだから、

前回は「宇宙観」を書きました。だんだん壮大になってしまっているのです。w


そして今回は「人生観」についてを書いてみます。
今回も「宇宙観」同様にどこに着地するか分からないのでご注意ください。



人生が自分自身に問いかけている?

さて、「人生観」とは、簡潔にいうと
自分自身が人生に対してどう捉えているか?考えているか?

人が生きる意味とは?とか、なぜ人は生きるのか?という多くの人にとって永遠のテーマですね。


早速このテーマについて書こうとした時、ハっとある人物の言葉を思い出しました。
ヴィクトール・E・フランクル
オーストリアの精神科医で心理学者。そしてあのナチスの強制収監所いわゆるホロコーストからの生還者です。その経験を書いた著書として『夜と霧』という代表作があります。

ヴィクトール・E・フランクル博士 Wikipediaより

なぜにヴィクトール・E・フランクルの言葉を思い出したかというと、「人生観」を考える時にこのワードが有名だからです。

人間が人生の意味は何かと問うに先立って、人生のほうが人間に問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要なんかないのだ。

人間は、人生から問われている存在である。人間は生きる意味を求めて人生に問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない。

フランクル『医師による魂の癒し』より

このワードを知った時とても衝撃だったのを覚えています。

なぜなら、僕らの多くが人生に向かって「おーい人生さん」と
「人生は何のためにあるのかい?」「生きる意味はあるのかい?」と問い、悩むこと自体がそもそも必要ないというのです。

逆に人生から
「あなたはどう生きるのですか?」「あなたはこの人生において何をもたらすのですか?」


問われているのだと。
フランクル博士は「人生の方から問いかけられている生きる意味や「使命を発見し、それを実現できるように努力するのが本来の生き方である」と述べています。
自分自身の人生の意味や使命をその人に見出され実現されるのを待っていると。

くぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜
この考え方を知るとですね、それまでの人生への問いかけ方、捉え方が180°変わってしまうのです。

他責思考から自責思考への転換

もう一つ今の自分の人生観を築いたことを書いてみたいと思います。

まず、僕は自分の人生はどんな境遇においても自分の意思次第で人生は変えられると思っています。

その考えの基になっているのが「自分の人生は生まれてくる前に自分自身で計画して生まれてきた」という仮説です。

はぁ?わかりますその気持ち。
いやいや、もう少し読んでみてください。


人生で起こることは行き当たりなことばかりではなく、ある程度生まれる前に自分自身で計画しているんだという考え方。


前回も書きましたがこの壮大な宇宙存在は一貫して「成長」というキーワードを重要視していて、その「成長」のために人はわざわざ思い通りにならない地球という惑星に生まれ、様々な思い通りにならない経験を通じて自分自身を「成長」させているのだと。

なので、今抱えている課題や悩みは、自分自身で設定していて、ちょっと背伸びしたら、頑張れば、努力すればクリアできるようになっている。

その考えに立ち返れば、この人生で起こることは全て自分自身で計画したもので、自分に解けない課題やクリアできないことなどは存在しない、正しい努力を行なっていればいずれ解決に向かうという捉え方に行き着く。


だから誰か第三者によって自分の人生を左右されることもないし、誰かに人生を奪わることもない。うまくいかないことも誰かの人のせいにして恨んだり、神様や仏様のせいにして運命を呪うことも必要ない。まさしく他責思考から自責思考への転換です。

もし今の現状に満足しない日々を送っているなら、鬱々とした日々を過ごしているならそれは全て自分自身の意思で変えられる。

しかも重要なのが、その現状に満足しない日々や鬱々とした日々を送ることでさえも成長のために生まれる前に自分自身で計画していたんだと。そう捉えられるなら人生は希望を持って生きられる。

これこそ誰の人生でもない紛れもなく自分自身の人生を自分の責任で生きる考え方だと思います。


この考え方は、なにも自分で思いついたことでも当然なくて、20歳のころに僕の人生を変えた、「生きることは素晴らしい」ことを伝えようと決心したきっかけの本「生きがいの創造」に書かれ学んだことです。

ぜひ読んでみて!人生観を変えた飯田 史彦 著「生きがいの創造」 


まとめ

ここまで書いてきた内容も、この「生きがいの創造」に書いていることも見方からすれば「おいウエダ大丈夫か?」とか「新興宗教にでも入ったのか?」と心配されるかもしれません。
でもそういうことではなくて、あくまで自分自身が人生を前向きに希望を持って人生を歩んでいく為に採用している考え方をただただ書いているだけです。

(注)再三いいますが自分は無宗教でクリスマスも正月も盆もお彼岸も分け隔てなく来るもの拒まず「色」はついてない人間です。
(こんだけ書くということはかなり偏見を恐れているww)

有名な例として、コップに半分の水が入っていることに対し、
「あと半分しか残っていない」と不安に苛まれるのか、
「まだ半分もあるから大丈夫」と安心するのか、
それは人それぞれで、考え方次第だ、っていう。


フランクル博士の言葉、「人生が自分自身に生き方を問いかけている」という考え方を知り、生きがいの創造において「自分の人生を自分で計画して生まれてくる」
「人生は、自分が自分に与えた課題をこなす場であること」という観点から僕の人生観は「あらゆる問題、課題は全て、自分の成長のために自分に与えた試練であり、人生はどんな境遇においても自分の意思次第で人生は変えられる」という人生観を持っています。

このような人生観が自分の映像創りの源泉にもなっています。


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