サポーターとしての社会人1年目 (上田真)

※機密情報もありますので、その部分は隠しつつ、1年目を振り返りたいと思います。
やや文章が読みにくいかと思いますが、ご了承ください。


「えっ!? あの有名企業のグループ会社から!?」


関西の某大学で卒業間近の2~3月くらいに、「えっ!? あの世界的に有名な企業!!??」と驚かれるだろう企業様のグループ会社様で、「是非とも試作品の管理のサポートをしていただきたい」とiPhoneで言ってくださった。

当時、電機系企業様をサポートする企業 (所謂技術職派遣) に正社員として内定を頂いており、最初に赴く場所は何処だろうと様々な気持ちが入り乱れていた中でのお知らせで、とことん驚いたことを今でも覚えている。当時はだいぶ有頂天になっていた。

しかし、まだ右も左も、社会人の「し」も知らない自分。当然の如く、4月の入社当初、ビジネスマナーや、実際の電機系企業様が置かれている現状等、知識をとにかく詰め込んでいき、場所は南の方へと転勤することになる。 (当時泊まっていたホテルで火事に遭い、全財産を失い「かけた」のも懐かしい。その場はことなきを得て無事に済んだ。)

いざ、実際の現場へ。

その後、4月の中旬より、上記の企業様で働くことに。
最初の講習会で、課長様、係長様クラスの方が「君たちには期待しています」という言葉を掛けて頂き、ますます頑張ろうと思えた。
そのことは、休みの日等は勉強がメインで、当時全く畑違いだった理系の知識やその企業様で扱う製品に関することをひたすら勉強していく日々を送っていた。

お仕事では、日々クオリティーの高い製品を作るべく、その前段階の「試作品」を作るお手伝いをしていた。
実際に手を動かす現場の方へ指示書をお送りしたり、また、部品等を各部署へ送ったり。 (当時、沢山Office365を使用していた為、そこそこ自信の方はある。)

だが、いくつか問題があり、「単純作業でも、理論的に考えてしまう」、「企業の看板を壊さないように、丁寧なお仕事を行う」という様々な試行錯誤が足かせとなり、1つの作業に、周囲の方々の1.5倍ほど掛かる、という状態に。
タイマーを使い、リアルRTA的に、どんどん時間短縮をしようとしてみたものの、特に効果なく。 (その後、別の企業様でも試したが、ダメだった。)

大学時代とは違う生活、なかなかハードではあったが、世界へと拡がっていく技術の一部に関われたらとひたすら頑張った。
(結局詐欺で、借金地獄に遭うことになるが) そういった、自己啓発プログラムにも加入し、お話の仕方やマインドを鍛えていくということを並行して行なっていったりもした。
企業様内でも、あらゆる分野の知識を教えていただける機会を設けて頂けて、目から鱗なことも多かった。

「あれっ、なんだかいつもと身体と精神が変になってきた・・・??」

5月半ば、どうしようもなく体調が悪い日があり、その日は土曜日ということもあり、家でひたすら休んでいた。まだ当時は「ただ疲れているだけだから、休んだらなんとかなるだろう」と。
そんなふうに過ごす中で、6月くらいになり、精神的にますます異変を感じるようになる。そう、「適応障害」だ。 (「適応障害」といっても、「軽度」ではあったが)
大学時代に同じ部活の先輩と会話することで、その異変に気がつくことが出来た。

社会人1年目になるまで、地元の京都で暮らし、それからお仕事で南の方へ。 (近くの県には親戚はいたものの、あまり面識はなく (小さい頃、母方の祖父母と共にその方のお家へ行ったきり) 、ほぼ「孤島に一人で住んでいる」といってもいいようなものであった。
それから、然るべきところへと通いお仕事をしながら治療をしていくことに。 (そこから、体調と精神に波が生まれるようになっていった。)

しかし、唯一の救いがあった。「同期が時間を取って、交流の場を作ってくれていた」ことだ。
GW等には、一つの家に集まり、ゲームをしたり、どこかに食べに行ったり。とことんリフレッシュになりよかった。 
当時はその交流の大事さには気が付かなかったが、今思い返すと、それがあったから、慣れない社会人生活にも乗り越えられたような気がする。 (しかし、自分が怪しい行動 (選挙の際はこの党でお願いします) をしてしまい、少し雰囲気が気まずくなってしまった。今思うと、自分は未熟者だった。)

働き方が変わってきて、そして、気がついた1つの疑問


1年目も後半になり、働き方も変わってきた。
かつてやっていたことを分業的に行う、「専門部隊の一員」として、自分もそこで活動するようになる。
そのお仕事のベテランから、数年働いてこられた方々まで、様々な社員で構成されていた。
マニュアルがあり、それに従い、他の同じ部署の社員が求める指示書を作る日々。

そんな中で、ここで一つの出来事に出会う。
「上田さん、どうして、マニュアルがあって、それをやるだけなのに、こんなに苦戦をしているんだい」
ルールに則り、然るべき方法でやっていたが、周りに比べて遅かった。理由は上記のように、「理論的に考える」、「看板を壊したくない」というのもそうだが、おそらく自分は周りと比べて、「特殊」だからかもしれない。

小学校時代~大学時代の自分と社会人1年目の自分を重ねてみる


かれこれ、思い返すと、小学校時代、平仮名が書けない、算数も中途半端、周りに馴染めない、基本的なことが出来ない (スケートリンクの靴の紐を蝶々結びに結べなかったことは鮮明に覚えている。) 、どうしようもない子供だった。 (今では、文理あらゆる書籍を読むまでにはなったが。)
そして、車で少し離れた別の小学校へと赴き、専門の教室で、周りに追いつくように、ひたすら勉強をしていって、なんとか周りの同級生に追いつけるよう努力していった。その後、中学校2年生~大学まで、ひたすら勉強、所謂「青春コンプレックス」族であり、「キラキラ」したものを味わうことはあまりなかった。 (大学時代では、部活で多少は輝いていたかも。)

上司とホワイトボードに囲まれた空間に自分の意識が戻り、どう説明しようかと考えたが、答えは出なかった。というよりも、分からなかった。相手の本当の気持ちを知るのも難しいけど、自分の気持ちを相手に伝えるのも難しかった。

亀のようの鈍く、しかし、成功体験も指で数えられる程の人間でもない。
休日にも勉強をしてきた、人よりも頑張った、しかし、呼ばれて、思いもせぬ言葉をお伝え頂き、なかなかショックだった。 (マニュアルに書かれたことすらも出来ないんだと、ただただショックだった。)

その後、別の会社で働く中で、「本質を捉える」というのが足らず、当時失敗したんだと知ることに。
「ただやるだけじゃダメ、その本質はどんなところにあるのかを考えないと、スピードが速くなったり、そのほかのお仕事に繋げていけない・・・」
大学とは違い、社会人は難しい、と感じた瞬間であった。

そして、運命の時

2021年3月ほど、突然高い階にて、上司から「あと残り1ヶ月で契約終了で、お願いしますね」と。
最初は、「???」とすぐに状況を飲み込めずにいた。その状況になる前までは全く、そのような雰囲気なく、普通に働いていたことにより。
理由は「自身を鍛え直したい」という当時の営業の方からの思いからであり、納得もあり悔しさもあった。

今まで1年で築き上げてきた中で、何かが崩れた瞬間を感じた。

その言葉が出るまでの間、「お守り」と共に励んできて、休日とかでも、割とビジネスや様々なことを勉強した。 (果たして、それがうまく現在に繋がったかどうかは不明。。。だけれど、勉強に対する抵抗感はどんどんなくなっていった。)

社会人1年目で、「えっ!? あの有名な企業!!??」の関連会社に勤められたのは「運」でもあり、また「己の未熟さを知らされる出来事」であった。
果たして、当時「働いて欲しい」と言ってくれた直属の上司は自身のどこに魅力を感じてくれたのだろうか。今でも全く想像がつかない。

最後に

最後までありがとうございます。物語はまだまだ続きますが、一度、今回はここで筆を置きたいと思います。
言わずもがな、その後の企業様方々では、それ以上の学びや悔しさも得て、現在東京某所でこのnoteを書いております。

そして、今まで新卒で働いてきた企業様もつい最近退職いたしました。
多くの学びがありましたが、ただ、ずっと点だけが集まり、線にならない日々が続いた中での不安、そちらが大きくなり、というかたちとなります。

また一からのスタートとなりますが、次は違う業界で、頑張っていこうと思います。それよりもまずは上田真財産をどうにかする (今まで貯めてきたお金を再度貯め直し)  ことから始めていければと思います。

長々となりましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。また読んでいただけますと喜びます🙇🏻
それでは次の記事まで、お元気で🥮



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