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自分のことを振り返ろうの記事 (音楽編) その1

自分と切っても切れないものをあげる記事シリーズ👨🏻‍💻
今回は「音楽」について🎵のその① (小学校から高校に入るくらいまでを想定している。)
※🎼というアイコンが途中で出てくるが、これは、一つの区切りというイメージで捉えてもらえると幸いである。


そもそも自分の音楽の始まりとはなんだろうか?

まず、文章を執筆する上での基礎知識を先に整理しておく。 (ここから音楽の始まりということもありまして。)

基礎知識編

🎵始まりは「槇原敬之さん」か「長渕剛さん」か。

父・母が聞いていた音楽がありまして。
父:長渕剛さん (筋金入りのファンで、実家には沢山のグッズがあったような。)
母:槇原敬之さん (こちらも筋金入りで、ファンクラブに入っていたり、とある曲では振り付け ( ? ) をしたりしていた。)
そんな両親の影響から、小さい頃から槇原さんや長渕さんのCDやビデオを見ていた思い出がある。 (ちなみに、徳永英明さんも家にボックス状でCDシリーズがまとめられていた。) 

🎵弦楽器のオンパレード

父がよく動画で見ていたのが「バンジョーをステージ上で自由に奏でる演奏者の映像」。幼心ながら、耳に残るフレーズで、今でも口で表現する ( ? ) ことが出来たり出来なかったり。

また、家にはあらゆるアコースティックギターやギター譜の楽譜があった。当時はあまり音楽に興味が無く、あることだけ意識していた。
今思うと、小さい頃から音楽に触れておいた方が良かったのかもしれない・・・。勿論、ギターがあるということはアンプもある。 (だが、機種名は忘れてしまった・・・。)

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第1章:今後の音楽に対する興味に繋がる、様々な出来事を経験した「小学生」編

ここからは、小学生の時を振り返る。
ここでは、中学校の吹奏楽部に入るきっかけであったり、音楽のことを様々興味を持っていく出来事がたくさんあった。

🎵公の場で音楽をしたのは、小学校の頃

後々の項目で、自分は吹奏楽部に入り、同じ部活の部員の親御さんは勿論、審査員等、多くの方々にみられるようになったが、それ以前に遡ると、実は小学校の頃から、公という名の、近所での集まりの場でのデビューが始まりである。

家では、周辺住居に住んでいる方々が集まる機会があった。
その中で、「この時間に空きがあるから、何かしてくれない?」と提案があり、当時様々練習をしていた「リコーダー」を演奏することに。 (父のギター演奏付き、ちなみに、父は昔、ギターの腕を磨き、様々作った音楽を投稿していたというお話も)
確か、月刊Pianoにて、メロディーラインを引用して、奏でていた。 (cf.当時、Keyが別のKeyである場合、そこから、音を変更しないといけないことを理解しておらず、普通に奏でて音が原曲通りでないことに違和感を感じていた。確か、キーを元の原曲のキーに変換しないといけないんじゃなかったかな・・・🤔)

🎵従姉弟の演奏会の思い出

私には親戚の従姉弟がいる。 (父の姉が別の男性と結婚して、という関係性である。)
その弟さん (自分より数歳年上) が中学校当時ユーフォニウムを演奏していた。 (そういえば、祖父のお葬式の際も演奏されて、なかなか印象深かったなぁ・・・。)

これがユーフォニューム。吹奏楽部でチラッと吹いたことがあるが、なかなか、口の形が難しかった印象が。

当時は小学校高学年であり、兄母祖母で演奏会を観に行っていた。
当時の演奏された曲は覚えていないが、沢山の方々の前で演奏を行い、拍手をもらう、その魅力に幼な心ながら感じていた。

🎵小学4年生~6年生の時の担任の先生

もう一つ印象的な出来事がある。
とある恩師との出会いだ。

その恩師とは、6年生まで担当してくださり、そして、当時様々な人間トラブルの解決、様々大切なことの教授をして頂いた、今でも自分の心の中に刻まれている先生の1人だ。

いつも教室には、その方のアコースティックギターが置かれており、総合の時間には、1970年代あたりの曲を唄っていたりした。 (Ex.吉田拓郎さんの「夏休み」/青い三角定規さんの「太陽がくれた季節」等)
これが、自分の人生のフォークソングの始まりであり、一つの好きな世界観になっていった。 (今では、ラジオでフォークソング等の特集が組まれている番組を聞いたり、フォークソングに関して色々と調べたりして、様々な時代背景を学んだりしている。)

現在、その恩師が元気であるかは不明で、もしまた会えたら会いたい。

🎵人生で初めて、自分の意思でCDを購入

小学校6年生の時に、自分の意思でアルバムを購入することに。
今でも覚えている。いきものがかりさんの「いきものばかり~メンバーズBESTセレクション~」 (2010.11.03) である。 (確か、クリスマスプレゼントとして買った記憶がある。)

いきものがかりさんのことが好きになったのは、たまたまやっていた音楽番組での演奏披露。「この曲好きだなぁ」という思いからだった。
そのなんとなくの「いいな」というのが他のアーティストさんの他の楽曲とリンクし、その他のアーティストさんのことが好きになり、それが無限に繰り返されて、自分の中の音楽の世界が築かれていくのだろう。
後に書く内容で、大学時代の作詞作曲があり、その時の曲も割といきものがかりさんに近いような曲だったような。

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そんなこんなで、幼少期時代から、中学に入るまで、様々な音楽に触れてきて、「現在、様々な音楽のジャンルに興味がある」という自身の特徴を作り上げた。

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第2章:音楽と本格的に向き合うきっかけとなった「中学校:吹奏楽部編」

小学校時代、上記にあるように、割と音楽的出来事に恵まれていた。それが今後の音楽的な出来事につながっていったのかもしれない。(cf.ちなみに、小学校高学年の当時は将棋の部活に入っており、音楽は好き嫌いは特に無く、「なんとなく」の印象であった。)

中学校に入り、どの部活に入ろうかと悩んでいた。
その時に、知り合いの女性の方 (先輩) が吹奏楽部に所属していたり、たまたま、小学校の頃の記憶 (上記の内容) に触れて、「吹奏楽部」に入ることを決心する。 (サッキソフォンを担当。)


こちらが、サッキソフォン。JAZZで良く活躍する楽器で、あくまで木管楽器。
どれだけリードという、演奏する時に使用する木の板にお金が飛んでいっただろうか・・・😇


そして、その決断が、後に様々な出来事に触れて、自分を成長させてくれる1つのターニングポイントになることに。
以下でいくつかトピックスを書いていくことに。

🎵様々な観点で悩むことに。

①後輩、なかなか自分に接してくれず事件

中学2年生、人生で初めての後輩が出来た。お二方とも、女性の方で、元気な方であった。

その中で、とある事件に出会うことに。

1人の後輩の方が、自分との同輩 にしか話しかけてくれず、自分に対しては一向に無視されることに・・・。 (結局その原因は分からず。しかし、1つ思い当たるとしたら、上手いこと指導出来ずとか・・・。)
当時も本当に心の底から凄くしんどかったのは勿論だが、今でも割と心の傷として残っている。

小学校から、中学1年生まで何度もいじめに遭っていた自身。そんなことから、凄く人間関係に悩んでいた。その中での本事件との遭遇で、勿論欠席はせず毎日行っていたが、その方と一緒になると逃げたくなる気分でいっぱいになり、ずっと気持ちが滅入っていた・・・。

結局、中学3年生の卒業まで、その方から「ごめんなさい」と言ってもらえず、後味の悪い感じでその事件は終わったが、ここから「様々な人とは対等に接していこう」と心の底から思うようになった。
(cf.実は自分の「真」という名前は昔小学校の校長先生だった祖父が付けてくれた名前で、「あらゆる方々と対等に接していけるように」という思いを持って名付けたとのこと。)

②後輩、自分のことを好きになってくれた事件

変な小見出しのタイトルではあるが、今思うと、事件 (というより、苦々しい記憶) かもしれない・・・。

自分は、今までに人生で3度相手から好きになってくれたことがある。その1番最初が今回登場する女性の方。彼女は当時薬剤師を目指し、色々と勉強されていて、凄く真面目な方だった。

中学3年生の頃、彼女が入部し、トロンボーンを担当することに。


ちなみに、こちらがトロンボーン。
楽器体験の時に吹いたが、スライドで様々音を変える (間違っていたら申し訳ないです🙇🏻) ので、
かなり調整の仕方を覚えてないとなかなか厳しいところ。 



最初は、全然自分のことが好きだということは全く知らなかったが、
ある時、恋バナ (だいぶ青春だ🏞️) をしていた時に、その方の友人である方が「実は、あの子、上田さんのことが好きみたいで・・・」と突然の間接的告白が!

その後、実際のその方と会話して、メールアドレスを交換 (当時は母の携帯電話を借りつつ) したり、様々関係を築いて行ったりしていた。

しかし、その後入学することになる。私立高校の勉強であったり、他にも様々やることが溜まり、上手くいかなくなることに。

最終的には上手いこといかず、関係は自然消滅していくことに・・・。

後々音楽の先生から聞いたお話で、中学1年生内で、様々悩み相談されていたとのことで、もう少し計画性を考えて、良い関係を築けるように付き合うべきだったと、今でもずっと、心の底で後悔として残っている。 (今は、その方は少なくとも大学3、4年生あたりで、薬剤師の学校に行けているのだろうかと、その後がきになるところではある。)

③その後の人生を変えた「ホウレンソウ事件」

中学3年生のもうそろそろ卒業だ、という時に、中学史上最大の「大」事件が起きてしまう。

練習終わり、楽器倉庫にサッキソフォンを戻そうとした時に、自分の不注意から、低位置で落としてしまうことに・・・。
当時本当になんと無茶苦茶なことをしてしまったのだろうと、今思うと凄く後悔している。楽器を扱う者として最悪なことを、サッキソフォン様、本当にごめん・・・。

下校時間が近いことや音楽の先生がいないことを考え、報告を明日にすることに。

翌日、吹奏楽の時に、音楽の先生に内容をお伝えしたところ、凄くキレられ、「もう部活に来るな💢💢」と言われることに・・・。
親と会話し、母と共に謝りに行くことに・・・。

なんとか事件は解決したり、楽器自体に異常なく、最後の演奏会にも出られた。
ただ、今でも覚えているのが、卒業生に贈られる色紙にて、音楽の先生が書いた言葉が「親のスネをかじりすぎないように!」。

一連の事件から、ホウレンソウの重要性を感じた。 (その後の、人生で、何度もそれは感じさせられることになるが・・・)
無事和解は出来たものの、当時、凄く悩み過ぎていて、ずっと気分が滅入っていた・・・。

🎵多くの大事なことを学ぶことに。

前の項目では、事件について様々書いてきたが、
他には、この吹奏楽部生活を通して、様々なことを学んできた。

①コミュニケーション力
吹奏楽部はチームプレイ。様々な方々が居て、日々言語でのコミュニケーションや音色でのコミュニケーションを通じて、その学校の音楽を作り出し、最終的には吹奏楽コンクールという1つの大会で披露する。

小学校とは違い、他の小学校からの方も新しい方が来て、コミュニティーが広がったわけではあるが、
今まで狭いコミュニティー (地元) にしか所属していなかった自分にとっては、中学1年生当時はなかなか上手く会話するのが大変ではあった。

しかし、多くのイベント (音楽祭等のイベント、別の中学校との合同演奏会、吹奏楽コンクール) を通して、コミュニケーション力は次第に磨かれ、中学3年生になる時には、中学1年生の時より、だいぶ人格的に成長した。

今では、お仕事以外でも、今まで出会わなかった見知らぬ方々と普通に会話していたり、おそらく吹奏楽部がなければ、ずっとコミュニケーションが上手く出来なかったかもしれない。
(cf.自分が所属していた吹奏楽部では、女性が大半であり、そこで、女性との会話の仕方を学んだのも言うまでもなく。)

②社会人基礎力
毎日遅刻せず、先輩には挨拶する、そして、数値で分かるものや、感覚でしか分からないものを努力して理解していく。 (時に、家に楽器を持ち帰り、家で練習をしていたことも。)
このような、社会人になって必要となる物事が吹奏楽部の中で経験出来た (先程の事件での出来事もそう。) のも、現在の自分に繋がっている印象はある。

印象的だったのは、ビックバーンコンサートとの選考会、そして吹奏楽コンクールである。

前者のビックバーンコンサートとの選考会とは
ビックバーンコンサートと呼ばれる、地元の様々な中学校の選りすぐりの生徒たちによる吹奏楽のチームが演奏を行うものの、まさしく、演奏力を見るオーディションである。
様々努力を重ねて、当日臨んだものの、周囲の方の圧倒的演奏力に完敗し、自分は落ちてしまうことに。
音楽の世界は、正解はない、果たして、選ばれた方はどんな魅力があったかは不明ではあるが、きっと、その方の演奏力や魅せ方が良かったのかもしれない。
今後の人生に於いて、どのようにしたら「選ばれるようになるか」を研究していきたい。 (恐らく、それがブランディングというものだろうか。)

後者の吹奏楽コンクールとは、まさしく、吹奏楽の演奏を競い合うもので、地元のコンクールで金賞だと、その後に進み、やがて全国大会へというもの。
音楽の先生やキャプテンが主導で、毎日18時くらいまで練習をして、取り組んでいたが、金賞常連校の学校には全然敵わなかった・・・。
こちらも、演奏力や魅せ方がだいぶ重要な要素だったのかもしれないが、
なかなか音楽の世界は難しいと、何度も何度も感じていた。

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人間関係であったり、社会の基礎的なことを学んだ一方で、多くの傷が心に刻まれていった中学時代。
その後、無事第1志望の高校に入学し、吹奏楽部で一緒だった方々の大半とはお別れし、新たな舞台でまた進んでいくことに。
高校生以降も様々な出来事に対して悩み、そして、後悔や反省も出てきたが、それに関しては次回以降に「後編」という形でまとめさせていただくことにする。

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今回も見ていただきありがとうございました🙇🏻

中学校までのことを振り返ると、5500文字以上になってしまいました。
読みづらく、申し訳ございません🙇🏻
今後の人生を振り返るにあたり、様々執筆させていただきました。
やはり、自分にとって音楽とは人生であり、教科書でありました📕

次回も読んで頂けますと幸いです。それではまた次回の記事にて👋🏻


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