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幸運な人とは?認知的焦点化理論に学ぶ運の作り方⭐︎

あなたは自分が運のよい人間だと思いますか?
そもそも運とはなんなのでしょうか。

僕は桃鉄でここぞという時にピッタリ目的地に着いたとき、僕は選ばれし子供なんだ、ディステニーズチャイルドなんだと恐悦至極の豪運を感じるわけですが、人によっては自分の事を不運だと感じている人もいることでしょう。

しかしどうやら自分を”幸運”だと感じている人、”不運”だと感じている人には法則があるみたいなんですよ。

「認知的焦点化理論」ていうって京都大学の藤井聡教授が言っていました。

とりあえず賢そうな文字の並びなんですけど、これが意外と共感できる理論だと思ったんです。

早い話、下の図です。

自分がどれだけ幸せ(幸運)だと感じるかは、どれだけ人を思いやっているか(=配慮範囲の大きさ)に比例するらしいんです。

どういう事かと言いますと、
①自分より他人を思いやれる人ほど幸運
②目先のことより先の未来を思いやれる人ほど幸運
て事らしい。

だから、目先の自分の事しか考えられない人ほど不運(だと自覚している)であり、未来の社会全体の人たちを思いやれる人ほど幸運(だと自覚
している)という事です。

つまりは短絡的な犯罪者は「俺には運がないんだ・・・」と嘆きがちであり、
未来の事を考える渋沢栄一郎とかは「わしはツイとるなあ」とポジティブになりがちだという事ですね。

あながち間違いでないなと思うわけです。

Twitterとかで自分の自傷ツイートばかりしているメンタルヘルスがお悔やみの人たちは基本的に未来見てなさそうじゃないですか。
今日とか明日の会社の愚痴ばかり考えてそうじゃないですか。

そりゃそれに比べたら未来の公共の利益を考えている人の方がよほど聖人でポジティブでしょう。
たまに私人逮捕系YouTuberとかあらぬ方向に正義のベクトルが向かう人たちもいますが、基本的に聖人だと思うんです。

この理論は最近アニメで知りました。
「ゾンビになるまでにしたい100のこと」ていうゾンビになるまでにしたい100のことを達成しよう!てアニメなんですけど、その敵役は基本犯罪者なんですね。

職場でうまくいかないだの彼女ができないだのを社会や不運のせいにするんですよ。
つまりそんな目先の利己的な視点しか持ってなかったら、拾える運も拾えません。

そして逆説的に考えると、幸運は作れる!という事です。
自分のためではなく、社会のため。
目先のためではなく、より未来のため。そう思って人の役に立っていれば気持ちも晴れて幸運だと思えるかもしれません。

そのためにも、まずは自分のできる範囲で「配慮範囲」を広げていくことが大切ですね。

今日は大まじめな記事です。

明日も楽しくいきましょう!



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