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「MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに」で公民権運動を学ぶ

1960年代のアメリカの公民権運動の中心人物の一人であるジョン・ルイスの自伝的グラフィック・ノベル三部作「MARCH」の最終巻。2巻はケネディ大統領の協力を得て、「私には夢がある」とキング牧師が有名なスピーチをした「ワシントン大行進」を成功させた。しかし、人種差別主義者たちとの対立は収まらず、黒人たちが集まる教会で爆弾テロが起こり4人の子供たちが犠牲になった。というところで終わっていました。

3巻は、公民権運動のハイライトである1964年の公民権法から1965年の投票権法の制定までを描いている。

アメリカは日本と違い、成人したら自動的に投票権を持つのではなく、有権者登録する必要があります。投票権法が成立するまでは黒人たちに有権者登録を妨害する行為が横行していました。例えば黒人だけに知能テストを行う、手続きを煩雑にさせる、などです。それどころか、白人の雇用主に有権者登録をしたために解雇されたり、有権者登録をした後に警察に不当逮捕され、刑務所で暴行を受けた女性も現れた。
※有権者登録問題は現在もいくつかの問題を抱えています。2020年の大統領選でも議論になったようです。

3巻の間に、公民権運動家たちの支援者だったケネディ大統領の暗殺、マルコムXの暗殺、ミシシッピ州でのKKKによる公民権運動家3人の殺害、各地で起こる人種差別たちの暴力など多くの血が流れました。
ジョン・ルイスも人種差別が激しかった南部アラバマ州で重傷を負う。デモ行進中にセルマ橋で警察の襲撃を受けたのだ。警察はデモに参加した無抵抗の人々に催涙ガス、こん棒、鞭などを使って蹴散らした。1965年3月7日の「血の日曜日事件」だ。警察たちが人々を襲う姿は全米で放送され人々に衝撃を与えた。この事件でジョン・ルイスは頭蓋骨骨折させらた。
この事件は結果的に投票権法の後押しになった。尚も人種隔離を続けようとする南部州に対し、ジョンソン大統領が投票権法成立が投票権法成立への強い意思を見せたのだ。

「黒人の問題などありません。南部の問題もありません、北部の問題もありません、アメリカの問題があるだけです。
法案が通過しても闘いは終わりません。セルマの出来事はアメリカ全土で起こっている巨大な運動の一部なのです。
アメリカの黒人たちはアメリカ人として完全な権利を手にしようとしています。
彼らの大義は我々の大儀でなければなりません。
偏見や不正という負の遺産に打ち方なければならないのは黒人たちだけではなく我々全員なのです。
勝利を我らに」

そして1965年8月6日に投票権法が成立します。

本書はここで終わりますが、人種差別との闘いは続きます。

1968年にキング牧師が暗殺され、2カ月後にはロバート・ケネディも暗殺されてしまいます。
非暴力では問題を解決できないと感じた黒人運動家たちの一部はブラックパワーを提唱し、対立を深めました。
そして、92年のロス暴動、現在のBLACK LIVES MATTER問題と、現在でも続いています。

ジョン・ルイスはロバート・ケネディの大統領選挙活動を支援した後に、自ら政治家になる道を進み、下院議員を1986年から17期勤めた。
そしてBLACK LIVES MATTER運動の最中、2020年7月17日に膵癌により80歳で死去した。葬儀の前にジョン・ルイス氏の遺体はセルマ橋を渡った。55年前は警察たちからの暴力でデモ参加者たちの血が橋のあちこち飛び散っていたが、2020年は赤い薔薇がまかれ、市民と警察が敬礼をする中、ジョン・ルイス氏の遺体が乗る馬車の霊柩車がセルマ橋を渡った。


ジョン・ルイス氏は生前、毎年、セルマ橋を訪れていた。2015年には当時の大統領であったオバマ大統領と橋を渡っている。

僕がジョン・ルイス氏を知ったのは、NBA(バスケットボール)のスーパースター、ジミー・バトラーのTwitterからだった。

絶望の海で迷子にならないように、希望を持って、楽観的になりましょう。私たちの闘いは、一日、一週間、一ヶ月、一年の闘いではなく、一生の闘いなのです。
決して、騒ぐことを恐れないで、良いトラブル、必要なトラブルに巻き込まれることを恐れてないで。- ジョン・ルイス

公民権運動については、キング牧師の名前と、有名なスピーチくらいしか知らなかったので勉強になりました。考えるきっかけをつくってくれたジミー・バトラーとBLACK LIVES MATTER問題に真摯に向き合っているNBAに感謝します。

MARCH全3巻はとても素晴らしい本だと思います。全国の学校や図書館に蔵書されることを期待します。



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