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宝くじ恐怖症の話

 宝くじ恐怖症なんて馬鹿馬鹿しいものを克服したいとたまに思う。

 宝くじ恐怖症とはなにか?それは宝くじに対する恐怖症である。多くの人は宝くじが当選したときのことを想像すると、どちらかといえば快活な気分になるだろう。私は逆だ。当選したときのことを考えているうちに、どんどん嫌な想像が膨らみ、動悸と吐き気とが止まらなくなるのである。

 馬鹿馬鹿しい!買ってもいないのに。しかし家人(本人の希望でこう記す)は買っているようだ。家人は宝くじが当たったらどうするつもりか、常々私に言いきかせている。彼女が私にルビーかなにか、とにかく宝石を贈ってくれたら、それが当選の合図だそうだ。当たったとは口に出さない。彼女の配偶者にも言わない。配偶者への相談もなしに宝石を買ったら不審がられそうだが、とにかくそれが絶望の始まりというわけだ。

 私だって初めから悲観主義者だったわけではない。買っていないくせに当選を夢想して、現実逃避していたことさえある。しかし、メディアには不幸話が溢れ、インターネットには恐怖体験が溢れている。私はいつのまにか悲観の漬け汁に浸ってしまった。悲観の漬物だ。

 例えばこんな話。片田舎で宝くじを買ったAさんが、高額当選をした。換金手続きをした銀行員はAさんの知りあいだ。田舎ならばそういうことはよくある。銀行員はついつい家族に話し、あっという間に噂が広まった。Aさんは転居を余儀なくされた。

 例えばこんな話。ボランティア精神が強いBさんが、高額当選をした。Bさんは天からの授かり物を多くの人に分けたいと思い、乞われるままに寄付をした。当選金はすっかりなくなったが、それでも毎日寄付のお願いをする人がやってくる。応対に追われて休む暇もない。

 他にも、宝くじにまつわる悲劇は枚挙にいとまがない。ああ、なんて恐ろしいんだろう!自分の実力でお金持ちになった人でさえ、変わってしまうことがあるというのに。ただの運でお金持ちになったら、本人も、身内も、周りの人も変わってしまうに違いない。やはり、多くの人が言うように、好きなものの一つも買わず、生活も変えずにいるしかないのだろうか。そうだとしたら、当たったことになんの意味があるのだろう?

 そんなわけで、私は宝くじが怖いのである。しかし、すでに書いたとおり、恐怖症の中でも大変馬鹿馬鹿しい類のものだと思う。なぜなら、当たらないからだ。どんな心配をしようとしまいと、当たらないからだ。

 それを実感するには、実際に買ってみて、あえなく外れるのが一番の薬だと思う。いきなり買うのは勇気が出ないので、まずは目を閉じて宝くじを買うことを想像する。暴露療法というやつだ。段階的に不安の原因に触れていき、不安に慣れるのだ。

 リラックスして、……いい感じ。極めて原色が多い売り場の中に、中年女性がすっぽりと収まっている。どこかドールハウスを連想させる。精緻な凹凸がある芸術品のような紙幣と、けばけばしいデザインの紙きれとを交換する。奇妙だ。現代でこれほど対価が釣りあわない買い物があるだろうか。しばらく経って、インターネットで当選番号を確認する。何度も同じところを視線が行き来する。外れた。安堵と、少しの落胆。少しとはいえがっかりするなんて、本当は当選を期待していたんじゃないか、と思う。なけなしのお金を出して買っているのだから、私だって少額当選なら嬉しい。どこまでが嬉しいだろう?

 100万円はほどよい。決して少額とは言わないが、精神と生活とが破壊されるほどの額ではないと思う。もし身の危険を感じたら使いきることもできそうだ。1000万円はギリギリのラインだ。ギリギリで平静を保てるか、目眩で立てなくなるかだ。

 一億円は完全に駄目だとわかる。押しよせる被害妄想でがたがた震えるだろう。とりあえず家人に話すしかない。家人は宝石の誓いなどすっかり忘れ、引っ越しを希望するだろう。どのみちこんな雪国で老いることに希望はない。毎年大雪の処理にどれだけの手間とお金がかかってきたかわからないのだから。引っ越すのであれば、祖父母を置いていくわけにはいかない。通院の世話があるし……。祖父母を連れていくのであれば、理由を説明しなければ納得しないだろう。祖父は自分の息子、つまり私の叔父に黙っていられるだろうか?口から生まれてきたと豪語する彼である。叔父が知れば当然叔母も知ることになる。そして――この先はキリがない。とにかく、我が一族にもはや安寧はない。なんなら一族が増えていく。電話は鳴りやまない。

 怒号、裏切り、狂気、そして、残酷な死。ああ、私が軽率だった。宝くじ恐怖症を克服したかっただけなのに――。

 ここで宝くじなぞ一枚も買っていないことを思いだし、なんとか呼吸を整えるのだ。私が素人だからだろうか、この療法は毎回失敗する。お手上げだ。そもそも日常生活で困っていないのであれば、恐怖症は治療しなくてもいいのである。

 賢明な皆さまは、恐怖症に悩まされたときは、まず専門家に相談していただきたい。私のことは心配しなくても大丈夫だ。私は未来永劫宝くじを買わないだろうし、家人が買った宝くじが当たることもないのだから。でももし、当たったら……?当たらないと誰が言いきれるだろうか?

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