寝返り 〜クリープハイプを語る〜

#いまから推しのアーティスト語らせて

こんなコンテストがあったので書く。


初めて聴いた彼らの曲は「オレンジ」YouTubeでMVを視聴した。変な髪型のボーカルが画面の中で歌い出した瞬間「うわぁ何この声……」と思った。単刀直入に言うと、嫌いだった。動画を一分ほど視聴して

「あーはいはい、こういう屈折した恋愛の曲を高音で歌うメンヘラに人気ありそうなナヨナヨしたバンドね」

そう考えて早々に動画を閉じた。

爬虫類みたいな顔で超音波を発するボーカルと、音楽室の肖像画の中に紛れてそうなベーシスト。帽子と頭が癒着してるギタリストと「GANTZ」に出てきてすぐ死にそうな顔してるドラマー。そんな第一印象だった。

数ヶ月後、私が二曲目に聴いた彼らの曲は「ラブホテル」だった。あれ? この曲はちょっと良いな、と思った。鼻の頭に皺を寄せて叫ぶように歌うボーカルを少し魅力的に感じた。周りの友人はみんなクリープハイプのことを嫌いだと言っていたから、ひとりでこっそり聴いた。

それからまたしばらく経って「手と手」「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」を聴く頃には、私が嫌っていたボーカリスト、尾崎世界観の歌声はまったく気にならなくなっていた。それどころか「この歌詞にはこの声じゃなきゃダメだ」とさえ思うようになっていた。私はアンチからファンへ「ねがいり」をうった。

「ジョジョの奇妙な冒険」を絵柄だけで敬遠している人と「クリープハイプ」を声だけで敬遠している人はとても多いと思う。私もそうだった。そして好きになれたことを誇りに思う。

それから現在に至るまで、私はずっとクリープハイプを聴き続けている。聴き続けるうちにわかったのは、彼らの曲は全然ナヨナヨしていなかったということ。

「明日には変われるやろか 明日には笑えるやろか」

「今なら歌姫 やり直せるかな」

「これから始まる毎日は映画になんかならなくても普通の毎日で良いから」

「いつか超えて会いに行くから待ってて」

「何もない私でも何があっても変わらないよ」

尾崎世界観の書く詞はいつだって、怒りや悲しみを明日への希望に変えている。だから私はクリープハイプを聴いて死にたいと考えることなんかない。クソみたいな世界だけど、明日も生きてやろうと思える歌詞だ。

去年、初めてクリープハイプのライブへ足を運んだ。武道館ライブ「クリープハイプのすべて」

初めて生で聴くクリープハイプがこんなに贅沢な場で良いのかな、と思った。周りは女ばっかりで怖かった。ライブが始まると、周りの女が一斉に泣き出した。葬式かと思った。しかし「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」「寝癖」の二曲が続いた時、私も泣いた。

いつのまにか「百八円の恋」が「百十円の恋」になってしまっているような、移り変わりの激しいご時世だが、私は死ぬまで一生クリープハイプを愛し続けると声を大にして言える。

おかげさまで今は「クリープハイプが好きだ」と言うと「うわー確かに好きそう」などと言われるまでになった。余計なお世話だよ。

書きたいことはまだ沢山あるのに、上手く文章に出来ないのが悔しい。書くべきことは全部書けただろうか。頑張れ私、明日は良い日だ。

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