ゆるやかな

一日二箱四十本。これが俺に生きている実感を与えてくれる物であり、いずれ俺に死を与える物だ。
原付のハンドルを捻って走る。対向車線を駆け抜けていく大型トラックとすれ違いざまに考える。
「今ここでトラック目がけてハンドルを切ったらどうなるんだろう」
会社に着くと、上司が何か話しかけてくる。肯定寄りの曖昧な返事を返しながら、考える。
「今ここでこいつの顔をおもいきり殴ったらどうなるんだろう」
住んでいるマンションのベランダ。洗濯物を干しながら地面を見下ろし考える。
「今ここで飛び降りたらどうなるんだろう」
恐らく一生実現できないであろう疑問をいくつか抱えながら今日も生きている。
ここでこれをしたらどうなるのか、ここでこう言ったら相手はどんな顔をするのか。好奇心とはまた違う衝動的自殺行為。それは致命的でも社会的でもなんでも良くて、結果的に自分の姿形や立場がめちゃめちゃになっても、なんでも良い。しかし常日頃から考えている「疑問」を実行に移せないのは、やはり自分が可愛いからで、更には観てない映画や聴きそびれた新譜、完結してない漫画といったものに足を引っ張られて、今日も生きている。
だから結局、俺にとって一日二箱四十本が、あり合わせの度胸で出来る最大の自殺行為なのだ。こうするしかない。
熱湯に入れたカエルは驚いて逃げ出すが、温度が徐々に上がっていく水に入れたカエルは逃げることなく茹って死ぬ。それと同じように、俺はゆるやかに寿命を削っている。
ゆっくりと、しかし常人よりは速いスピードで死んでいくことが、楽な生き方だと信じている。
近い将来、血反吐を吐いてのたうち回って白い部屋で寝たきりになっても
「今ここでナースコールを押さなければどうなるんだろう」
などと考えるのだろうか。
今夜も一箱450円で買える毒に火をつけて、吸って、吐く。
これで俺の人生はオーケイだ。きっと。

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