今度の手術で

食道裂孔ヘルニアの手術を受ける為に入院。朝イチの麻酔科受診で、急遽、昨日、ホントに昨日、喉頭分離の手術も同時にやった方が良いだろうと決まったと教えられる。           「それは知らないですよね?聞いてないですよね?」                    ダンナと2人して                 「うえぇ?」                 ヘンな声が出てしまう。そりゃ知らん。聞いてないよ。慌てて、持っていた書類を全部落とす。どうせやらないかん、将来的にはやらんといかん工事(工事って言うなwww)だとは認識していたし、聞いてもいた。冗談で、一緒にやってくれんもんかね?とも、確かに夫婦で笑って話していた。話してはいたが、マジで?病棟へ向かうのにお迎えにみえた看護師さんも、すごく怪訝な顔で「私達も、今朝聞いたんで、ちょっとバタバタして…」                     それはそうでしょうな。が、担当医からの説明では、ギリギリまで話し合いをして、同時にやらなければ、このヘルニアの手術をやる意味もなくなってしまう、すぐに再発するリスクをなんとしても避けたかった先生達の葛藤を感じ、そして、今の洸介にはそれに耐えられるだけの体力があるから踏み切ったのだと思い、全てを先生に、病院に、天に任せる事にした。大袈裟だな、やっぱり。(6月30日)     


手術当日は、朝から先生を3人動員して採血と点滴のルートを取ろうとしたのだが、絶飲食とたぶん緊張のせいで血管が取れず、諦めて手術室で特殊な光を当てて取ってもらう事に。                                                 

13時半頃
手術室へ向かった洸介に
終わってやっと会えたのは
23時の集中治療室だった。
洸介も当然頑張ったが
先生や
看護師さんや
たくさんのスタッフが
長時間
洸介のために
頑張ってくれた。
手術をしなければ良かった、とならず
手術をして良かったね、と
誰もが思ってくれるように
今から生活しなきゃな。                        

父と母は集中治療室で先生からの話を聞き    日付けが変わる少し前に帰宅。         でも先生達もその時間まで           普通にまだ術着だったからな。         ほんとにありがたい。(7月1日)


今日は私の誕生日。
49歳。
朝からひどい頭痛。
病院からの電話の前までに
すべて片付けておこうと思ったが
なんもできんかったな。
外は
大雨を超えて豪雨、
病院について院内に入るまでは
小降りになる。
そして病室につくと
外はどんどん暗くなり
雷も鳴り出す。
豪雨と雷と、
術後で浮腫んだこうすけに
お祝いされたようだ。
おっ?窓の外に
鳩がいち、にぃ、さん、4羽も!
まあまあ、ありがとうございます。
そんなんでも
幸せだよな。
歳を取るのも悪くない。(7月2日)


ゴキゲンなのか
そうじゃないのか
痛いのか
痛くないのか
どっちなんやろね?
結局
痛み止めフルコースで
やってもらった。
ちょっと寝たけど
じきに起きて
夜は夜で
検査で大騒ぎ。
まあ
どうなっとんだろう?               洸介本人は
ぐったりしとるとか
体調が悪そうには見えんけど。
ほんと
すみません。(7月3日)


相変わらず
洸介は
むくむく浮腫んでいる。
なんなら
停留睾丸のキンタマだって
ブヨブヨにパンパンだ。
少量の栄養が始まったが
下痢はするし…
良くなっているはずだ。
うん
なかなかそうは見えないのだが
良くなっているはずだ。
そうだ。
そう。(7月5日)


急変王子。いや、急変って訳でもないか。胸に水が溜まってしまい(しかも両方とか!そんなん溜めんなや!)、緊急〈小〉手術の為に、処置室にベッドごと連れて行かれ、個室には私が1人ぽつーん。薄曇り、9階からの眺めは、病院からでなきゃ最高なのだが…救急車のサイレンの音。ソファに立ち上がって見てしまう。良くはないけど、受け入れ先があって良かったな、とか考えながら。救急車は近くに来るとサイレンを消す。あれ?近くから鳴り出した。(どこだ?)と立ち上がって探していたら、病院から新生児のドクターカーが出発して行った。この入院前の診察の時にも受診に向かう車の中ですれ違い、終わって帰ろうとする頃、サイレンを鳴らして戻ってきていたなあ。もし、洸介が産院で適切な処置をされて、ちゃんとああして救急車で運ばれていたとしたら?と思う事はある。また違う軽度の障害児としての道を歩いていたのか、うーん、健常児であっただろうとはとても想像できんので。そっちのがしあわせだったかな?どうなんだろう?例えば、軽度だったら、私達夫婦は、それでもみんなと〜とか思ったんだろうか?重度の障害児であったからこそ、今があるんだけども、私達は良かったと思っていても、洸介って、どう思ってんのかな?今の洸介でなきゃ、若い看護師さんに「カワイイ!」とは絶対言ってもらえなかったはずなので、俺の人生だってそこそこだぜ!って思っていてくれんもんかな。処置室じゃ、外科の先生と、たぶん可愛い研修医の先生と、看護師さんは何人か立ち会ってるのかなあ。あーあ、やっぱりひと筋縄じゃいかんかったな。こりゃいつまで入院なんだろな。退院できればそれでいいんだけど、はよ元気になって、帰ろうや〜(泣)

(エコー検査から
 レントゲンから
 CTとか
 それから
 胸腔ドレナージとか
 人工呼吸器とか
 ちょっと泣きたいくらいな
 怒涛の1日でした。
 早く良くなりますように。)(7月6日)


今日も今日とて
何かひとつ管が外れるでもなく
ただ
なんでか急激に
おしっこの量が増えだしたので
それが少しの回復への期待。
好きに動かしてやれないのは
洸介も辛いだろうが
母ちゃんも辛い。(7月8日)


一進一退なのか
それとも
一進一進なのか
できれば
良い方に進んでいて欲しいのだけれど
世の中の憂事も
心配だし
心を痛めてはいるのだけれど
それよりも何よりも
まずは
目の前に横たわる息子の快方が先
ごめんなさい。(7月9日)


しかし
生きるってことは
簡単そうで
難しい。
小さな子が
ごっそりと髪の毛のなくなった頭で
無邪気に
点滴の支柱を
カラカラさせながら
歩いているのを見ると
またその姿を
穏やかな眼差しで見守る
お母さん達を見ると
いろんな事を受け入れて
受け止めて
病と闘うことに立ち向かう
強い親子
家族を感じて
洸介も
さあ頑張らんきゃねと
母ちゃんの心を奮い立たせる。
でも
眠いね。(7月11日)


大騒動の7月12日。                 カフ付の気管切開カニューレのはずだったのだが、抜けた!しかも、TV室へ検査に向かう移動中のエレベーターの中。同行した先生が気づいて慌てだし、一緒にいた看護師さんも??そして、事の次第を把握すると、うわーっ!抜けてる!って。カフ付きなんだもの、抜けるて想定はなかったな。驚き!そして、結構ゴソゴソして危険人物な為に、カニューレはマジックテープのバンドではなく、しっかりと紐で縛って固定。ほどけない!ほどけない!(そりゃ、ほどけないように結んでるから〜)でハサミで切り、なんとか造影検査だけ済ませて部屋へ。ついでに、レントゲンも撮って来ますって言っていたけど、それどころではなく、結局部屋でレントゲン撮影したそうだ。今日、日中交替していた父ちゃんは、カニューレが抜けたので!とバタバタしている看護師さんや先生に処置があるので…と退出を促された。看護師さんの後日談で「いちばん冷静だったの、こうちゃんのお父さんだった」と。父ちゃんいはく(交替時に、腹を抱えてヒイヒイ笑いながら報告を受けたのだが)、何がなんだかわからんかったのだけど、この18年、何度も似たような事件を起こしている我が息子に(またやりやがったか〜!)くらいにしか思っていなかったようで。     「なんかね、なんでみんなすっごい慌てとるのかな?って思っとっただけどね」         って。そんな事件を私達両親は、ひと仕事した、と表現しているのだが、洸介本人も、日中そんな事があって大変だったなんて顔は、これっぽっちもしていなかった。大物っちゃあ大物。迷惑だな。おかげで、人工呼吸器を外す事になった。先生はもう少し装着しておきたいって言っとったのに。あっ!それがイヤだったんか?…考えまい、考えまい。そうかもしれんで怖い、怖い。イリュージョン洸介という称号を与えよう(7月12日)


洸介、
点滴取れた。
あと酸素だけ、
あと酸素だけ。
1日6回も7回も導尿するの頑張る(笑)で
早く酸素取れますように。
今週末、
退院は今週末を目標にしよう。(7月13日)


考えてみれば
この身体で
10時間ほどの手術に耐え
1週間ほど
人工呼吸器のお世話にもなり
1日2日で
元に戻る訳がないのだ
どうしても
今までと同じを求めてしまうけれど
危険を取り去るのと引き換えに
今までやれていた事ができなくなるのは
仕方のない事なのかもしれないな(7月14日)


退院が見え始めた。
若い看護師さんが
そっと部屋に来て
今度出勤する時は
こうちゃんいないんだ…と
寂しそうに呟く。
本来なら
ここに恋愛という感情があっても
おかしくない歳の2人だが
お互いにそれは無いようだ。当然か。
看護師さんはカワイイ患児の退院、
洸介には
優しい看護師さんとの別れ、
それしかないのが複雑っちゃ複雑。
いや
母親の目の前でそれがあるよりいいのか。
亮太をひとり暮らしさせたおかげで
母ちゃん的には
入院中は
洸介の事に集中してやれて
洸介の事〈だけ〉に集中してやれたので
退院が寂しかったり…
日常に戻れば
うちの事をやりながら
洸介が目で訴えても
ちょっとあとでねと
で、それを忘れたりさ。
ここにいたら
父ちゃんはちゃんと自分でやれるので
猫達の事も任せておけたし
そうはいかん日常に戻るのは
なんだかなあ…そんな気分。
でも
そうは言っておれんのでね
日常に向けて
準備を始めなくては!(7月15日)


昼に父ちゃんと交替して帰宅。明日、退院するのだ。その為に、帰宅したらすぐに今までの生活ができるようにしておかなければならない。それに加え、酸素を繋がなければならない。機械はある。今までは、体調不良だとか、癲癇発作の時とかの、ほんとの緊急用だったが、明日からは日常。しばらくすれば、必要なくなるはずなのだけれど。先生方も、そうなってくれ!と願っているはずなんだけど。なんなら、もう少し入院していてもいいよって、先生は言ってくれるんだけど、小児外科の先生も、小児科の担当の先生も、どっちもすごい心配性みたいで、どっちかって言ったら、容態の良くない(ように見える)洸介を心配して、朝は早くから夜は遅くまで、なんなら帰宅しからも「洸介君はどうですか?」って、2回も電話連絡して来てくれるとか、土曜日も日曜日も、毎日顔を見ているので、これ以上酸素しかやる事もなくて、しかもその酸素だって、先生に言わせると「なんか、この量だとやる意味って…」って言いたくなっちゃうくらいの微量で、意識がないとかそんなのでは全くないのだから、早く退院せんと、先生がどうかなっちゃう。できれば、もう少しいたいのはやまやまだけれど、このあと少し抜けきらない浮腫も、帰って、生活の中で動かす事ですっきりするんじゃないだろうか?とも思った。                  「帰って、もしどうしてもエラそう(→辛そう、苦しそうという意味の方言)だったら、また戻ります。」                    と言う母ちゃんの申し出に、先生も       「じゃあ、そういう感じにして、様子見ますか」 と返事を下さり、先生もホッとしたろうが、母ちゃんもホッとした。明日の準備OK!(7月16日)


ようやく
家に連れ帰る。
長かったとは言っても
洸介の
何回もの入院生活の中では
それほど長い期間ではない。
いちばんホッとしているのは
先生かもしれん。
人工呼吸器は
なんとか外したいと思っていて
なんとか外れたのだけれど
どうしても酸素を取り込めず
酸素を繋いだまま
退院になっている事。
両親に
負担になってしまわないかという心配。
1週間か
2週間か
それくらいでなんとか手術前の状態には
戻るんじゃないだろうか?と期待して
退院を選んだ私達。
車に乗せて帰る途中
呼吸をしているのかどうか
よくわからない。
歌ったり
大きな声で呼んでみたり
夜勤の明けのような身体にムチ打って
なんとか渋滞していない道を探して走る。
渋滞で動けなくなるより
遠回りで時間がかかっても
身動きが取れるようにしていたかったのだ。
先に到着していた父ちゃんは
玄関から顔だけ出して覗いていた。
車を停めて急いで抱いて
ベッドに運ぶ。
すぐに酸素に繋ぐ。
小一時間酸素をつけてなかったので
いつもの3倍くらい(とは言っても1リッター未満)。
父ちゃんが
計測器を洸介につけて
「…あれ?」
首をかしげる。
どうした!
「…97?98?」
は?流量を下げてみる。
どんどん下げていつもの流量。
それでもかなり高い数値。
いっそ外してみるか?
外しても
先生が最低限欲しいと言った数値を
はるかに上回る。
退院直前まで
酸素しても低くて
先生困っていたのに?
嬉しい誤算。
でもなんで?
ニヤリ。
…まさかな?そこまではできんよな?
しかし
これを先生が信用できるかどうか。
私だったら信用できない。
それは父ちゃんもオモッタらしい。
計測器と酸素をつけていない洸介を
同時に写真に収める。
座っている所とか
寝る直前とか。
これを先生に見せる事にしよう。
先生、思うかもよ?
そんなんだったら早く退院させれば良かった!
ホントに
あの親子は!とか。
でも先生だって
病室来ると
いつも笑っとったもんいいやんね(笑)
報告が
ちょっと楽しみだったりする。(7月17日)


無事に退院できた。このコロナ禍、よく手術もできたものだ。感謝しかない。この後、夜間も酸素は要らなくなった。ただ、ヨダレ逆噴射は大変だがwww鼻からも出してるんだもの、ブサイクこの上ない。受診の度に、吸引は減ったかどうか確認される。たぶん、あの尋常ではない吸引回数は、先生も気になるところだったんだろう。今回は、そこそこ大手術だったわりには、早い回復だったんじゃないかとは思うけれども、なんとも濃ゆい入院だった。先生もジェットコースター並みに楽しんでくれたかな?(なんちゅう事を言う親だ)だって、なんだかんだ言って、先生は病室来る度に、母と洸介に笑かされて出て行ったに?まあね、先生を喜ばせるのはそこじゃなくて、今から、だ。今から。この手術をして本当に良かったって姿を見せるのが、洸介の仕事。がんばろな。



※ブログと、それに補足するような形で記録に残しました。



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