見出し画像

「何の役にも立ててない」と言う新入社員がいた


1.電気ポット

たまたま早く職場に着いた朝。
一番乗りだったので、掃除機をかけて
デスクを拭きあげて、
電気ポットにお湯を入れに行こうとしたら

2か月前に入った新入社員が
「遅くなりました!」と
大きい声で飛び込んできて、
危うくぶつかりそうに・・・!

全然遅くないよ。
始業の40分前です。

僕は息子を早めに保育園に送る日だったので、
たまたま早く着いただけで、
いつもは20分前くらいに職場に着いてます。
(これでも早いと自分では思っている)

「雨でバスが遅れまして、掃除などさせてしまい、申し訳ありませんでした!!!」
声がでかい。

「いいですよー掃除は早く来た人がやれば」

「いやでも、私まだ何もできませんから!このぐらいはしないと!!」

「…はーい、ありがとうございます」

そして私から電気ポットを
丁寧かつ素早く奪い去っていきました。

うまく言えないのだけど、
なぜか私の深いところが
傷ついたような気がしました。

この痛みはどこから来るのかな?
思いを巡らしてみると、
およそ6年前の2016年にさかのぼります。


2.チラシはさみ

パワハラの描写があります。抵抗のある人はお控えください。

僕は新卒で入った会社を勢いだけで飛び出した。

当時の心境をあらためて言葉にしてみると、
「自分をごまかせなくなったので、好きなことを仕事にしたい」
って感じだった。

今言葉にしてみても、そうとうヤバイ笑
本当に勢いだけ。戦略とかキャリアプランとか、全部無し。

音楽が大好きで、音楽の仕事に転職した。
ミュージシャンの卵に留学先を紹介したり、
海外の先生を国内にお招きするエージェント会社

「君が前職で学んだ企画やマーケティングの設計と検証を、
大好きな音楽の世界で生かしていってほしい!」
熱意と経験を見込まれて小さな会社に飛び込んだ

はずだった

入ってみると、ゴッリゴリの営業チームに配属され、
営業ノルマをクリアするために
毎日100本以上のテレアポ電話をしつつ
黄色い申込用紙にハンコをもらうことだけを
追い求める日々が待っていた

入社して半年、1件も契約できなかった

「金がない客が来たらクレジットカードを切らせろ」
「残念ながら目標未達なのでこの夏は全員ボーナスありません。唯一未達成のニシダさん皆さんに向けて一言お願いします」
「この知識量で契約とれたの?そのお客さんが不憫だわ」
「こんなミス、俺が前に居た会社だったらマジでボッコボコに殴られてたよ!大丈夫?」
「さっき商談してた音大生の子、あんたがいないときに質問してきたよ。『あの男の人、挙動不審ですけど大丈夫ですか?』って」

私はただただ、最寄り駅の西葛西まで私を運ぶまでの都営バスが電柱に激突することを毎朝毎朝祈っていた。住んでるアパートの前を流れる大きな川が氾濫してくれることを祈っていた。東西線の遅延を毎朝祈っていた。毎日飲んで、吐いて泣いていた。どうしてこうなったんだろう・・・好きなことを仕事にしたかっただけなのに。

12月のある日、社長に言われた

「もう商談はしなくていいから、今日はパンフレットにチラシ挟んで?終わったら次のチラシ渡すから言って」

隣の陽当たりの悪い部屋で、ひたすらチラシをはさんだ。
節電のために電気は点けないでと言われた。

1つ目を挟み終わると、次のチラシを渡された。
「あ、ごめん。パンフレット開いたら、さっきのチラシの次に来るように挟んでほしい」と言われた。
じゃあ最初から2つとも渡してよ。

隣の部屋からは、フランス語を練習する声が聞こえる。
楽しそうだ。今年受験かな。

隣のビルでいそいそと働いているOLさんが窓から見える。
ボーっとしていたら目が合って、ニコッと会釈された。

僕も会釈した。

おかしいな・・・
僕も、普通に人の役に立ちたかっただけなのに・・・

チラシを挟んで3日ほど経った日の夕方だった。
吐き気と頭痛がピークに達して、
「体調が悪い」と上司に伝えた。

「明日は休んでいいから病院にいってきて」
と言われた。
周りも駆け寄ってきて
次々に「絶対に病院に行った方がいい」と
声をかけてきた。

今になってみて意味が分かる。
僕は、休んだ方がよかったんだ。


3.病院

翌日、秋葉原の心療内科に行った。
電話で誰とも話したくなくて、
ネットで予約ができる病院を探した。
朝一番で行った。

ちょっと待たされて、小さな部屋で色々と話した。
めちゃくちゃ泣いた。
ゆうメンタルクリニック、ありがとう。

そこから先はあまり記憶が無いのだけど、
会社に診断結果の書かれた書類を社内SNSで送り、
すぐに新幹線の切符を買って、着の身着のまま岡山の実家に帰った

実家宛てに会社から覚書のようなものが届いて
「1か月以内に出社が無ければ自己都合の退職とみなす」とか
「会社で経験したこと及びこの覚書の内容を口外してはいけない」とか
何かが書いてあったように思う。
律儀に署名捺印して送り返したような気もするし、
返してないような気もする。

いずれにせよ僕は生き残った。
2016.4月、好きなことをしたくて転職し
2017.1月、ギリギリ死にかけるところまで行った


4.図書館

実家での日々は、長かった。

「これからどうするの?」という母の声かけにも
「馬鹿にするな!!」と怒鳴り散らした

父は何も言わなかった。
お互い、目が合わせられなかったけど、
心配してくれているのだけは伝わった。

半年くらいお布団の中で過ごした。
Googleで「鬱 寛解 いつ」などで調べて
一喜一憂していた

次第に、自分の人生を
どう使っていくかを考えるようになった。

自分の命は、いまどうなっているんだろう?
知りたくなった

岡山県立図書館まで行って、
うつ病に関する脳の本を読みまくった
まず岡山出身で鬱病のブログを書いている人の書籍を読んだ
処方された薬SSRIの作用から
犯罪・加害に関する心理学の本も読んだ

精神分析に関する本を読み漁るうちに、
リルケの詩集までたどり着いていた

フォーカシングの本を見たときは
秋葉原のメンタルクリニックで
号泣したカウンセリングを思い出し
自分を客観しできた

人生を心地よく泳ぎきるためのヒントがあるのではと思って
無人島サバイバルに関する本も読んだ

とにかく「残りの人生を、命をどう使いたいか」だけ
に関心を置いて、気になることは全て調べた

このまま実家と図書館を往復して、
ただただ本だけを読み漁る日々が
何年も何年も繰り返されて、
今までの友人から忘れ去られて
親が死んで
自分だけが暗い布団の中で
ずっとずっとずっと過ごすことに
なってしまうんじゃないかって
そんなことを考えて寝れない夜もあった

ハローワークの無料カウンセリングのおじさんは
優しすぎてまぶしかった。
でも何も話さないわけにはいかなくて、
「淹れたての美味しいコーヒーを飲むためだけに
自転車で家の近くをうろついている」
という作り話をしたら、
「そういうのも素敵ですね。焦らないで良いですよ」
と言われた。
ただ作り話を一生懸命に聴いてもらって、
優しい言葉を受け取るだけの時間。
そんな優しい言葉が響かないくらい、
自分には余裕がなかった。

ただただ、自分は自分のことを考える余裕しかなかった。
今思えば、それでよかったと思う。
自分の残りの命のことだけ考えてて、
本当に良かった。

気になることを片っ端から調べていくうちに、
自分の内側から何かが出てこようとしているのを感じた

「内側から湧き出るものを使ってみたい」
「こんな自分だからこそ、できることがあるのではないか」
その根拠のない願いは、日に日に強くなっていった

今まで歩いてきた道のりがあるからこそ、
絶対にできることがある気がする。
そう信じて人と関わることが、
今の自分ならできるんじゃないか。

そういう意味不明な確信を持てたのは、
仮にその確信が誤りだったとしても、
何も失うものがなかったからだと思う。
「これ以上不幸になりようがない」
みたいな開き直ったニュアンスだったと思う。

ただ、「これ以上は不幸になれない状態」と、
「これ以上、幸せを受け取りようが無いくらい満たされた状態」って
”揺らがない”という点で似ているような気がする。
だから「何が起こっても自分は大丈夫」と思えたんじゃないかな。


5.私にできること

気が付くと4年くらい、人の話を聴く仕事をやっています。
相談業です。

1回きりの人もいれば
1年くらいずっと付き添った人もいた

「今から殺しに行くから待ってろ」と言われたこともある
「死んでしまいたい」と言われたこともある

どんな相手であっても
「全部ひっくるめて、この人が自分のありのままの才能や価値観を活かせる世界が絶対にある」と信じてかかわることに私は決めています。

それが正しいとか、正しくないとかを論じるつもりは全くなくて、
「信じて関わる」と決めたんです。
それが私の残された命の使い方だということ。
他人の物差しで測ることができないものなんです。


6.命の使い方

「役に立たない私は毎朝早く来て掃除でもしないと存在が許されない」
という前提を生きているのだとしたら、
「それは、あなたが理想とする命の使い方ですか」と問いたい。

掃除をするのが良いとか悪いとか、
そういう小さな枠組みではなくて。
「自分の存在を許す/許さない」っていう
人の尊厳にかかわる大事な判断を
”職場の評価”なんてチンケな所にゆだねて良いんですか?
そんなわけナイですよね??って話。

願わくば、あなたはあなた自身で自分にOKを出してほしい。
自分の命の使い方を決められるのは、
自分自身だと思うからです。

「自分が正しいと思う命の使い方」を基準にすると、
わかってくることがあります。

「もうこれ以上不幸にならないから怖くない」
と思っていたものが、
「自分はすでに幸せなので、何が起こっても不幸になりようがない」
というふうに少しずつ差し替わっていくんです。
本当です。

自分の命の使い方を、自分で決めるのは勇気がいることです。
でも、「あ、俺もうすでに幸せなんじゃない?」
ということに気付けたときに
ブレイクスルーが起こるってこと。

だから勇気を出して、残りの命の使い方を
自分で決めてみませんか?


おまけ

僕が実家でニート鬱ライフを過ごしてたとき、
人生を変えてくれたYoutube動画があります。
これを見て僕はえんえん泣いて、
残りの人生を自由に使いたいと心に誓いました。
私が初めて「コーチング」という言葉を知った動画でもあります。
4分ほどです。もしお時間があればどうぞ


あなたの残りの命の使い方を一緒に考えましょう。

コーチングを受けてみたい方を募集しています。
今月まだ2名ほどお受けできます。
ご興味があれば、LINEかTwitterDMからご連絡ください。

公式LINE: https://lin.ee/m8ZJOSH
Twitter: https://twitter.com/udnishida


私のコーチングをより詳しく知りたい方は、こちらへどうぞ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?