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非日常を、クソな日常から逃げるための装置にしてませんか?(合唱活動を再開してみて)

15年くらい音楽活動をやっています

今日は、コンサートという非日常と
普通に日常とが繋がっていることの大切さや
繋げるための方法なんかを書いてみます

今年5月にコンサートやるよ!

2023年5月7日にコンサートをやります!

たくさんの人に来てもらいたい!
良い場となるように練習を積んでいます!

子供が生まれたりコロナが来たり、
なんだかんだでコンサート出演は
3年ぶりです。

私にとって久しぶりのコンサートですが、
個人的なテーマ設定があります。

それは
「豊かな日常が、良い非日常を創る」
です


非日常と日常をシームレスにする

かつては、「あー演奏会おわったー!明日から仕事かよ!社会復帰むりー!」とか言いながら、朝まで博多・天神で飲みふけっていたわけです。
もう7〜8年ぐらい前の私は。

今思えば、その「いつもと違う体験」が「クソな日常」から距離を取るための単なる息抜きになっていたのだとしたら、少し残念な記憶でもあります。

そんな私が、今回ひさしぶりにコンサートイベントに参加するわけで、改めてどんな気持ちで非日常を過ごしたいか?を整理してみると

「クソな日常を浮き彫りにしてしまうような非日常」よりも、「豊かな日常がいいコンサートを作る→非日常が生み出す豊かさが"日常に往来"するような場を作りたいな!」という思いになったわけです。


一瞬で終わる非日常から、豊かさを日常に取り込むには?

コンサートは1日で終わります。
演奏する曲は12〜15曲ほど。
歌っている時間はトータル1時間くらいだと思います。

その1日のためにメンバーで集まって練習する通算の練習時間は、50〜70時間くらいかな?
4時間の練習を月2回×6〜9ヶ月くらい。

みんなで集まる練習を豊かな時間にするには、一人一人が楽譜を読んできてどんな空間を作りたいのか考えてくる、実際に一人で歌いながら考える。そういう時間がおのおのにあります。

自分一人で楽譜を見つめたり、歌の詩を読んだりする時間が毎回の練習ごとにあると思います。
実際この記事を書いた後も、楽譜を読んで歌おうと思ってます。
必ず隙間を見つけて1日10分は読みたいなと思ってます。

本番当日、この最初の一音を発したときに、ホールはどんな雰囲気になるだろう。お客さんはどんな気持ちになるだろう。もっと聴きたいと思ってもらえるかな。
練習のとき、この最初の一音を発したときに、練習で隣で歌っている人はどんな気持ちになるだろう。練習終わるのがちょっとイヤと思ってもらえるかな。
自分一人で楽譜を眺めてワッと歌ってみる時、どんな気持ちになるだろう。死ぬまでにあと何回くらい自分が歌いたい歌を歌えるかな

と想いを馳せてみます。


死を思え

そんな自分の活動を支えていくためには、「日常を豊かに生きてること」が前提にあるに違いないと思うわけです。
豊かな日常を組み立てた上に、豊かな非日常をクリエイトすっぞ!ということです

豊かな日常を手にする具体的な方法は人それぞれと思います。

早く寝る
深く寝る
味わって食べる
笑う
泣く
ヨガする
人と話す
なにもしない

色々あると思うのですが、私が取り入れているのは「今日の夜寝て明日の朝起きないとしたら、つまり死ぬとしたら、どんな気分で夜寝れたらいいか」について想いを馳せることです。

あまり深く考え込む必要はないと思います。
結論がすぐに出るわけないと思います。
私だったら、深く考えてしまうとヘソクリを使い切ると思います(笑)

大切なのは「ちょっと想いを馳せること」です。

朝、忙しくても
妻の顔見て「いってらっしゃい」と言おう

保育園に送るときは
必ず子どもとハグしよう

手際の悪い新人のコンビニ店員にも
丁寧に御礼を言おう

疑問や違和感を抱いたら本音で伝えよう

自分が楽しんでいるかを優先させてみよう

そんなことが積み上がるのだと思います

大切な瞬間を、日常へ生かす

コンサートに限らず、自分にとって大切な瞬間がこれから先の自分を照らすものになればなと。

これを読んでくださっている方の大切な瞬間がそうであることを願っています。

一瞬の逃避じゃなく、非日常と日常が繋がっていくように。今日も豊かにやっていこうということです。

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