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偉人のお墓参りしてきました。明治時代、日本にスポーツや運動会を伝え広めたイギリス人 F.W.ストレンジ

日本のスポーツ事始め

こんにちは、シャインニングUDKの犬飼です。
突然ですが皆さんは江戸時代にはスポーツが無かったのを知ってますか?

そうなんです。遊戯や武道と呼ばれるような文化はあったのですが、スポーツというのは輸入されたものなのです。
スポーツだけではありません。
今では日本では慣れ親しんだアートやスポーツ、法律、会社、銀行、保険などの文化は江戸時代から明治時代に移り変わるなかで日本に外国から輸入されてきたのです。
日本の西洋化ですね。

今回はそのスポーツを日本に輸入し広めた人のお墓参りにいってきたというお話です。

名前は「フレドリック・ウイリアム・ストレンジ」さんといいます。

なぜ彼をここで紹介するかというとストレンジさんは、なんと運動会を日本で広めた人だからなんです。


日本で最初の運動会は、1874年3月東京の築地にあった海軍兵学校にて行われた「競闘遊戯」というイベントが始まりと言われますが、その翌年1875年、ストレンジさんは22歳の時にイギリスから東京の築地にあった海軍兵学
校に英語教師として来日しました。

ストレンジさんは、ロンドンの川のそばで育ちボート競技をして遊びました。運動が大変好きだったのだと推測します。
日本に来てからも英語だけではなく、熱心に体を動かすことを日本人に伝えました。
1883年に日本で出版した「Outdoor Games」という日本で最初に野球を紹介する本を書いたり、大学生たちに熱心に様々なスポーツを教えます。
この結果スポーツ教育を日本で最初行い、スポーツという文化を日本に広めていった最初の人になったのです。
その中で運動会も開催し、多くの人に運動会を体験させていった人なのです。

そういったストレンジさんのお話は、この高橋孝蔵さんの書かれた本に楽しく書かれていますので、ぜひ読んでみてください。

お墓は青山霊園

さて!
そのストレンジさんは日本で結婚して、35歳で日本でなくなっています。
そのお墓にお参りにいってきたのです。

場所はここ

その様子をビデオにまとめましたのでどうぞご覧ください。

そして、ここからはUDKAクラブメンバーの方むけに

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