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ヨアヒム・リンゲルナッツの短編を訳してみました

訳書のグラフィックノベル『ベルリン 1928-1933ー黄金の20年代からナチス政権の誕生まで』(ジェイソン・リューツ著、鵜田良江訳、パンローリング)でトリックスターとして大活躍するドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツ(Joachim Ringelnatz, 1883-1934)。

ワイマール共和国時代のベルリンで暮らし、カバレティスト、コメディアン、詩人、作家として知られるリンゲルナッツ、ですが。日本での知名度はいまひとつなような……。ドイツ語圏ではいまでも詩集や絵本や短編集が新しく刊行されています。学校の授業で詩がとりあげられたりもしていて。

リンゲルナッツはセーラー服を着た水夫の役が当たり役でした。政治を風刺し、ナチスにも批判的だったために、1933年のヒトラー首相就任後、主な収入源だったカバレット(風刺寄席)への出演を禁じられて困窮しました。1934年、結核で51歳の若さで亡くなっています。

詩をはじめとして、日記などの散文、短編、そして画家だった父の影響もあり絵もたくさん残しています。詩や日記などの邦訳はあっても、短編の訳はあまり見あたりません。でもパブリックドメインの原書は手に入る!というわけで、『Vom Tabarz(タバルツのこと)』という1924年に書かれた短い作品を訳してみました。リンゲルナッツらしい、優しい語り口の肩のこらない作品です。ちょっとした気分転換にでも読んでいただけたら幸いです。

タバルツのこと

(ヨアヒム・リンゲルナッツ作、鵜田良江訳)

 そのちいさなハエはロシアのエカテリンブルクの野原で生まれました。知りたがり屋で、なんにでも首をつっこもうとしました。ですからそんなつもりがなくても好奇心から多くを学ぶことになったのです。ところが知ったことを鼻にかけて同い年の仲間をばかにし、物知りな先生にまで恩知らずな態度をとるようになってしまいました。ですからこのちいさなハエは、年老いたおばあさんのもとへ足しげく通うようになったのです。ハエの古い言い伝えを聞くためでした。シャンデリアからぶらさがった、獲物をおびき寄せる糖蜜のしみだすハエ取り紙。人間のもとに住む不気味な怪物ピシャン。などなど。ところがこのおばあさんはとんでもないハエで、話がおしまいまでくると、途中で産んでいた卵をつぎつぎに投げてくるのです。そして、そんなあれこれの悪事をすますと、さようならの挨拶も言わずに、ハエ取り紙の体験談をひとつぶってやろうと、友達や知り合いを探しに飛んでいくのでした。
 このちいさなハエはヴッピーという名前でした。仲間たちはヴッピーの頭のよさに感心していたのです。そんなあるとき、大きな音をたてて汽車がやってきました。ヴッピーはみんなの前でレールにとまり、大まじめに言いました。ここから動くもんか、止まるのは汽車のほうだ! と。蒸気機関車が警笛を鳴らします。
「汽車がこわがってる! 悲鳴をあげてるよ!」と、ヴッピーは勝ち誇ったように言いました。汽車はブレーキをかけて、止まりました。
「ほらね、見た?」
 大勢の人たちがどっと汽車から降りてきます。
「あれは、生きてる子どもを産むんだよ」と、ヴッピーはわけ知り顔で説明しました。目を輝かせて、赤ちゃんたちをあやそうと近づいていきます。
 ヴッピーは汽車の体に入っていきました。汽車のおなかのなかには子どもがいて、その膝の上でハムサンドが揺れています。ヴッピーはハムサンドにとまりました。
 シベリア横断鉄道は旅をつづけます。チェリャビンスク、イルクーツク。ハムサンドの横にはコルク栓のついたコーヒー入りの瓶がありました。木の皮のようなところに甘そうなしずくが2つ、ついています。ところが穀物売りのパーゲルさんが不器用にいじっているので、ヴッピーは近づくことができません。パーゲルさんはコルク抜きを使わずに栓を抜こうとしていたのです。けれどもうまくいかないので、栓をえんぴつで瓶のなかに押しこむと、コーヒーをひと口飲みました。ヴッピーは甘いしずくのついた木の皮が瓶の奥に消えるのを見て、すぐにあとを追って飛びこみました。ところがいきなり渦に巻きこまれて気を失ってしまい、やがて目を覚ましたときには、水に浮いていたのです。むかしリュウキンカのうしろの池にいたときと同じように。本能で危険だとわかりましたし、おばあさんからは、おぼれて死ぬのはあぶないよ、というような話も聞いていました。ですから木の皮の陸地が目に入って、天にものぼるような気持ちになったのです。陸地にたどり着いてそこによじ登ると、すぐに甘そうな2つのしずくにとびつきました。うしろ脚を乾かしながら。
 パーゲルさんは瓶の口に紙を詰めて網棚に置きました。それから本を読んで、ながながと身を伸ばし、眠りについたのでした。
 旅はさらにつづきます。5日後、スレテンスクでコサックのちいさな女の子が乗ってきました。パーゲルさんはおしゃべりをしようとしましたが、6日後に、ハバロフスクで女の子は降りていきました。
 この数ハエ年のあいだに、ヴッピーは恐ろしいことを経験しました。地震、はげしい潮の満ち引き、しける海、猛烈な竜巻。でも科学者のように観察して、気がついたのです。竜巻が起きるたびに、まわりの黄色い水が浅くなっていくことに。
 ずいぶん前から、そして何度も、ヴッピーはあまりの怖さに木の皮の国から逃げだそうとしました。これからはおとなしく暮らしていこう、そう心に決めたほどだったのです。ところがすこしはなれたところで、距離は違っていても、まわりじゅうで凍った空気の層にぶつかるのです。すかして見ることはできるのですが、通りぬけることはできません。はじめはなにかの間違いだと思いました。それでもやはり凍った空気はまわりにあって、溶けないのです。
 ウラジオストックまであと15ベルスタというところまできて、なにもないひらけた場所で汽車は止まりました。車軸が折れてしまったのです。穀物売りのパーゲルさんは窓を開けて理由をたずねました。それからコーヒーを飲もうと瓶のふたを開けたのです。でも飲む前に、思わずにおいをたしかめました。このハエ日に、ヴッピーは空気の流れに乗って出口を見つけました。そしていきなり野原に、自分たちの野原にいたのです。あぶない場所から逃げだせたのですから、大よろこびで、すぐに胸いっぱい空気を吸いこみました。
 でもなにかがおかしいのです。花がすっかり変わっています。どれほど時間がたったのでしょう……ずいぶん時間がすぎたようではないか……そう思ったとき、ヴッピーのなかで哲学的な思考が生まれました。
「そうか!」
「なるほど!」
「奇妙だ!」
「いや、もちろんだとも!」
 とはいえどれほど時間がたったのでしょう? ヴッピーはいっしょに遊んでいたハエ仲間を探しましたが見つかりません。やっとのことでウサギの死体から出てきた年をとったクロバエを見つけました。トボルトとかいう名前の、無知なプロレタリアートです。それでもいろいろと気になることがあったので、ヴッピーは話しかけました。
「あの、トボルト父さん、そのウサギはどうしたんでしょうね?」
 年老いたクロバエは返事もせずににらみつけてきました。年をとってものがわからなくなっているようです。身なりもすっかり乱れています。そこでヴッピーはほかのハエのところに行ってみました。けれどもだれも質問に答えてくれないし、どのハエもゆがんだ姿をしています。ヴッピーは考えました。ひと世代がまるごと飛ぶことを忘れてしまうなどということが、ありうるのだろうか? と。つづけてさらに頭をひねりました。わたしは、ヴッピーは、疑問をめぐる思考を展開させて、ひと世代がまるごと、飛ぶことを忘れてしまうなどということがありうるのだろうか、と考えたのだ、と思ったのです。仲間のハエたちがこのような思考回路についてこられるはずはないのだから、わたしは……謙遜について天才的に知っているわたしがそれがなんであるかを口にするわけにはいかないのだが……⚪︎⚪︎であるにちがいない、と。
 このとほうもない勘違いのおかげで現実的な感覚が鋭くなっていました。20メートルはなれたところに、若いころの経験から学んだ、そしておばあさんから聞いて知っていた、ある危険がひそんでいるのが目に入ったのです。アマガエルです。ところがヴッピーは、安全な場所に移るだけでは満足できませんでした。かわりに自分の頭脳を試してみようと思ったのです。アマガエルのジャンプ上限を超える高度を旋回し、見下した笑みを浮かべてアマガエルを怒らせました。カエルはかんかんになってゲロゲロと鳴きましたが、やがてしょんぼりと静かになりました。ところがこの勝利の瞬間、ヴッピーは死ぬほど驚かされたのです。ハエの口吻の長さほどしかない目の前を、ツバメが猛スピードで飛んでいったのですから。ヴッピーは逃げだしました。ツバメがついてきます。ヴッピーは木の枝にとまりました。ツバメもとまります。ヴッピーの心臓はドキドキして破れてしまいそうでした。
「食べたりしませんよ」ツバメは安心させようとして言いました。「もうおなかはいっぱいですから」
 このツバメはおしゃべりがしたかったのです。
「アフリカからもどってきてまだあまり時間がたっていないんです。海の上を飛んで……海がどのようなものか、知っていますか?」
 ヴッピーはびくびくしながら首を横に振りました。
「こわがらなくても大丈夫ですよ」やさしいツバメは言いました。「もしかしたら、わたしの旅の体験談を聞くのはおもしろいかもしれませんね」
「わたしを食べたりしないと、約束してくれたら」ヴッピーはあまりのこわさに、かすれた声で言いました。
 ツバメは食べないと約束しました。
「海とはどのようなものか、わたしはよく知っていますよ」ヴッピーはしらじらしく話しはじめました。「なにしろ千年の人生でいろいろと……」
「千年?」とツバメはたずねました。
「そう、千年です。それに、ここでは空気がところどころ凍ることも経験しました。あなたが氷期という言葉に親しんでおられるかどうかは、存じあげませんが」
 ツバメはひどく間抜けな顔をしました。ヴッピーは体を上下に揺らすと、どちらかというとひとり言のように、それでいてひどく大きな声で、はっきりと先をつづけました。
「海がしける前のあのころ、わたしが汽車を止めたときのことです」
「どうか聞かせてください!」ツバメはたのみました。
「いいえ、あの話はしたくないのです。それにわたしはいま、重大な哲学的問題に取り組んでいまして……もちろんよくご存じですよね、わたしが何者か……?」
「知りません」とツバメは言いました。
「ご存じない? これはまたご冗談を!」ヴッピーはわざとらしくほほえみました。「でもいいでしょう。どうぞ、お仲間とのおしゃべりとまったく同じようにお話しになってください。体験談をしたがっておられましたね。おもしろくないはずはありませんな。そのようなことを原始的な思考様式で、あなたの種族の無邪気な言葉で聞かせていただくのは」
「もう話しませんよ」とツバメは言いました。
「いや、そうおっしゃらずに! さあ、あなたの高尚なツバメ語ではじめてください」
 ツバメは長い体験談をひかえめに話しはじめました。ヴッピーは3本の脚を反対側のもう3本の脚と組んで、片耳だけで聞いているかのようにすこし体をひねりました。ところが話はちっとも聞かずに、こっそりと逃げる計画を立てていたのです。するといきなりツバメが話をやめました。
「それで? つづきはどのような?」とヴッピーはたずねました。
「おなかがすいたんです」ツバメは困ったように言って赤くなりました。その瞬間、ヴッピーは草にかくれて助かろうと、ビュンと、できるだけビュンと、下に向かって飛んだのです。そうしてアマガエルに呑まれました。赤くなったツバメは怒ってアフリカに飛んで帰りましたが、その色のせいでたくさんの水牛を闘牛にしてしまったのでした……。
 さて、カナダからやってきた科学者がアマガエルを切り刻んでみると、ハエが出てきました。よろこんだ学者は「ラン、ラン!」と言いました。もちろん英語で言ったのです。「卵、卵!」と。このとき偶然、ヴッピーがはじめての卵を産みました。もうそのような年になっていたのです。この偶然にすぎない反応を前にして、科学者は勘違いをし、あまりの幸福に震えました。自分は発見をしたと、この発見はいつか理論的な証拠によって学問的に裏づけられるのだと考えたのです。人間的な感覚で言うところの、動物的な思考能力は存在するというわけです。昆虫と自分とのあいだに意思の疎通が成立する可能性がある、そう強く確信した科学者は、さらなる成果をあげました。必要だったのは、きわめて高性能な振動板のついた集音器、それだけでした。カナダからきたニップ教授は集音器を持参していたのです。
 ハエの言語を構成している第1の要素は身振りでした。たとえば「おはようございます」と伝えるとき、ハエ語では「グッドモーニング」と言ったりはしないのです。右の中脚を30度上に曲げるのは、「いま何時ですか?」という意味です。ニップ教授はたゆまぬ努力を重ねてハエ語を学びました。音声学的な構成要素について言えば、ハエ語には男性名詞がありませんでした。
 ニップ教授はヴッピーを連れて講演をすることにしました。教授がカナダじゅうで6か月の講演旅行をするあいだ、ヴッピーは同行して、実演のさいに臨機応変に返事をしたり、言われたとおりに反応したりして、聴衆の前で立証を助けるのです。それに対して教授は旅のあいだ、ふさわしい食事と寝る場所をヴッピーに用意します。さらにハエの出演はあくまで学問的な範囲にとどめ、商業的な搾取はしないと約束しました。ヴッピーは模様のような点をいくつも打って、ハエ語で契約書にサインをしました。
 ニップ教授は海底ケーブル通信でカナダに電報を打ち、ホールの確保と派手な宣伝とプロモーターの依頼をしました。ついで上等なハエのケースを買うと、ハルツチーズとイチゴと馬のこやしを入れて、そのそばにいるようにとヴッピーにたのみました。そうしてひとりと1匹は、船に乗りこんだのでした。
 それはすばらしい船旅でした。教授は明るい性格でしたし、すこし教養があるおかげで高尚な雰囲気もそなえていました。ですからどんな人に対しても親切で、わけへだてなく気配りをすることができたのです。お昼ごろになると、ニップ教授は船員室におりていってはコニャックをふるまい、海の男とおしゃべりをしました。船員たちはふうがわりで考え方もすこしかたよっていましたが、頭が悪いなどということはまったくなく、それどころか思慮深くてユーモアもそなえていました。世界をめぐる壮大な知識を持ちながら、どれほど奇妙な迷信を信じこんでいたことでしょう。ややこしい空想を摩訶不思議なやり方で展開させていたのです。
 見習い船員のフリッチェが、海で何度も見たというとほうもなく大きな巨人、タバルツの話をしました。ニップ教授はすこし笑い、仲間の船員たちもフリッチェの言葉を信じようとはしませんでした。フリッチェがフリードリヒローダの出身だったからです。フリッチェは気を悪くして甲板にあがっていきました。ところが30分たつと、あわてたようすで下の船室に向かって叫びました。
「教授先生! 教授先生!」
「どうしたのかね?」
「あいつが出ました!」
「だれが出たと?」
「巨人です。見たくありませんか?」
「おやおや」とニップ教授は言って、甲板にあがっていきました。ほかの船員たちもついていきます。海は凪いでいました。あたりいちめん陸地ひとつ、船1隻、見あたりません。青い空にはちいさな雲さえも浮かんでいませんでした。船員たちは笑いました。
「さて、きみのタバルツ氏はどこにかくれているのかな?」と、ニップ教授は愛想よくたずねました。
「あそこです!」フリッチェは腕をぐるりとまわしてみせました。
「どこかね?」
「あの青い空が見えますか?」とフリッチェは訊きました。
「もちろんだとも。だが……」
「だから、あの青いが空ぜんぶ、巨人タバルツのズボンのボタンの、まんまんなかの詰めものの、かけらなんです」
 そのとき客室係が大声で教授の名前を呼びました。
 ニップ教授の船室が何者かに荒らされていたのです。フリッチェは悪気はなかったのですが、ただの好奇心からハエのケースに目をとめました。そしてチーズとイチゴが主役で、ハエと馬のこやしはおまけだと思ったのです。そこで主役のほうをたいらげると、おまけのほうは、たたきつぶしてしまったのでした。
 


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

こちらは、パブリックドメインと明記されたKindle版から訳しています。『ベルリン 1928-1933』でのリンゲルナッツの活躍も読んでいただけますと、うれしいです!