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だれかを排除したりしない言葉

おはようございます!
きのう、散歩をしていたら
アメリカフウロが咲いているのを見つけた。
初夏に咲くとされているけれど
近所では春夏秋と暖かい時期、わりと長く見かける花だ。

とはいえ真冬に咲いているのを見たのは初めてだったので
かなりびっくりした。
色も薄くて、寒いよう、と言っているみたいで
早くあたたかくなるといいね、と思った。

ところで
さいきん、ツイッター(X?)で
1年ほど前にバズって大変なことになった
ぼくのツイート(ポスト?)が
どなたかに見つかったらしく
ふたたび拡散されてプチバズ状態になっていた。

このツイート。

上のフォントは下のポストのように
木材さまの開発中のフォントだった。

いわゆる万バズというやつは
後にも先にもこれだけなのだけれど
最初は、通知がもう本当に大変なことになって
これが光の速さというやつですか、と思った。

どうせなら訳書がバズってほしいなぁと思うけれど
世の中というのは、そんなに甘くないものである。

ぼくが作ったフォントでもなんでもない話で
めっちゃ盛り上がってしまい
結果的にフォントの制作者さまの名前が
拡散されることになって
よかったなぁと思っているけれども。

念のために申し添えておくが
当然ながら木材さまと仕込んだ、などということではない。
上のツイートをしたときには
大変申し訳ないのだけれど
木材さまのことは存じ上げなかった。
むしろ無断転載であったろうし
それについてぼくを責めずに
寛大に受け止めてくださった
木材さまにはほんとうに感謝している。
あの節は、ありがとうございました。

そして
ぼくの名前のツイートが
ぼく自身とは関係のない話で盛り上がり
頭の上で飛び交っているような状況にあって

なんとなく寂しい気持ちになりながらも

なんだかこれって
翻訳者の仕事に似ているなぁと思った。

だれかの作品を
それまでリーチできなかっただれかに
手渡すこと。

上のバズったツイートで
ひとつ、気をつけたことが、あった。

これは、ぼくがふだんから心がけていることだ。

「日本人のみなさま」

とは書かずに

「日本語話者のみなさま」

と、書いたことだ。

「日本人」って、なんなんだろう。

国籍が日本、という定義にしたら
両親は日本国籍だったけれど
なにかの事情で外国籍なんだ
でもぼくは日本人だよ、と思っている
そんな感じの人を
排除してしまうことになる。

日本語を話す人、という定義を好む人もいる。
ぼくは、この立場をとらない。

ぼくは、日本語が、とても好きだ。
この言葉を一生かけて勉強するために
このとんでもなくめんどくさい国を選んで
生まれてきたんじゃないかと思うほど。

でも、日本語を母語として育ったわけじゃない人で
日本語に惹かれて、あるいは必要に駆られて
ものすごい努力をして習得した人も
少なからず、いる。

それに、国籍は日本じゃないけれど
日本語が母語なんだよね、という人も、いるではないか。

この人たちを、排除したくない、と思う。

だから
「日本人」じゃなくて「日本語話者」
という言葉を、使った。
ふだんから、そう言うように、している。

そして上のバズったツイートに対してどなたかが

「おしゃれなツイート」

と言ってくださっていて
ぼくは、とってもうれしい気持ちになった。

その方は
なんとなく、おしゃれだな、と感じただけ、なんだろうと思う。

けれどぼくはどうしても
「日本人」と書くことで
日本語を理解する日本国籍ではない方を排除したくなくて
「日本語話者」という言葉を、使った。

言葉を使う専門家でもなんでもない人にとっては
なんとなく、おしゃれだね、と感じるだけの表現でも
ぼくたち翻訳者は、細かいところで
いろいろと工夫している。

語順、漢字かひらがなかカタカナか
情報を出す順番、語尾の調整。

ほんとうに、ささいなことだ。ちいさなこと。
でも、その小さなことの積み重ねが
作品全体に大きく影響する。

翻訳を任された素晴らしい作品の足を
ひっぱったりすることのないように。
訳すときになによりも考えるのは、そのことだ。

1年前にバズったツイートは
そんなことを意図したわけではなかったけれど
結果的に
だれかの作品をだれかに渡す
それだけのことで
自分にとっては直接、なにかの利益になったりだとか
そんなことはなかったけれど。

でも、たとえ
読んだ方がはっきりと意識したわけではなくても
ぼくの選んだ言葉が、工夫が
だれかの心に届いたんだな、と思えたのは
とってもうれしいことで

だれかを雑に排除してしまったりしない
そんな言葉を、これからも選んでいこうと
あらためて、思った。

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