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ここにあるもの

いつからだろう、行田駅を過ぎたあたりから車窓を眺めるようになった。久下橋を過ぎると、いつもの景色が待っている。小さな工場に広い校庭の小学校、年季の入ったオフィスの看板や築年数の浅い住宅が連なる。もう何十年もここにあり続けるだものと、まだ十年にも満たないであろうものが混在している。それらの間を敷き詰める田畑、この時期は飴色をしている。何となくボーッと、でも答え合わせをするかのようにじっくりと流れてゆく景色を目で追っている。これまでと変わったことはない。気がする。とりあえず耳に装着しているだけの、適当に鼓膜へと流している音の背景で、駅の到着が近いことを知らせるアナウンスをしっかりと感じとる。このアナウンスを合図に座席から立ち上がり、イヤフォンを外す。
地上には高崎線、高架には上越新幹線のホームがあり、また、橋上駅として機能しているため、晴れた日の日中でさえも陰さがある熊谷駅のプラットホーム。今日は金曜日で、今は13時21分、熊谷から乗車する人の姿は高校生が多い。普段15両編成の3号車に乗るため、ホームからは階段を使って改札口を目指す。改札を出ると右に曲がり、妙に無機質な通路を直進する。駅と隣接するビルとの接続部分に到達し、行く先に見えるエスカレーターで小さなロータリーを目指す。ビルの3階と2階を移動させてくれるエスカレーターは、外側がガラス張りになっており、ロータリーの様子を確認することができる。父が迎えに来てくれる時は、いつもここで車の位置を確認する。
ロータリーに出ることで初めて、ようやく熊谷の空気に触れることができたと感じる。と同時に風もさほど強くないことに気づく。夏は暑さで知られるが、冬は群馬県の赤城山から吹き下ろすからっ風、「赤城おろし」があるために風が強く寒い街へと一変する。
レンガで舗装された歩道を歩み、信号のない横断歩道を渡る。駅前の横断歩道は、必ずといっていいほど歩行者を優先して渡らせてくれる。
セブンイレブンの手前を左へ曲がり裏路地へと入る。小学生の低学年の頃だろうか、駅ビルが大きく再建された。有名チェーンのカフェやファストフード店、ファストファッションブランドが入っており、当時はその新しくて綺麗で大きな建物がスゴくカッコいい場所だと感じていた。しかしその裏路地は、大きな建物ができてしまった以来、陽の当たることが許されなくなってしまった。常に日が陰っており、駅前であるにもかかわらず、途端に人の気配がなくなる。そんな裏路地をそそくさと進むと商店街に出る。といってもここも同じだ。商店街としての機能は果たしておらず、錆びの入った看板が、かつての繁栄を侘しく主張している。やや均一な高さで並んでいるその商店街の、歩行者しか踏み入れない細い道を通り抜け、国道を目指す。その大きな国道の横断歩道についた時、自動車用の信号を視界に捉える。信号は赤を示しており、その後歩行者用信号の待ち時間を表すゲージを確認する。まだ4つほどある。もう一度自動車用信号に目線を向け、その目線をそのまま少しばかり上に傾ける、空の面積が広いことに気づく。青く澄み渡った冬晴れの空は、眩しいとは思わないほどの心地よい日当たりを与えてくれる。目の前では10tを超えるものから1tにも満たない鋼の塊が、物凄い速さで通り過ぎる。道路は滑らかに舗装されておらず、ところどころ凹んでいる箇所も見え、そこを通過した塊はガタンと音を鳴らす。ただ、同じ道を同じ速度で走ろうと、それぞれの個体から鳴らされる音には違いがある。
国道を渡ることで、駅前とされるエリアから離れることになる。それぞれの個体が鳴らす音が徐々に遠ざかる。と同時に聴こえ始める音がある。どこかの誰かが家の窓を開ける音、鳥が発する音、自転車を漕ぐ音とそれに乗る母と子の会話の音。聴こえる音はそれらのみで、無音の中にそれらの音が点在しているように思える。
目の前には熊谷女子高校が見える。その敷地は、レンガと均一の高さで並ぶフェンスで囲まれている。体育館があるようで、やや規則的にボールが弾む音、シューズがフロアを擦る音が聴こえる。吹奏楽部だろうか、金管楽器の音色も僅かながらに聴こえる。女子校の周り沿うように歩き、角を曲がり一本道へと移る。左は相変わらず均一な高さで設置されたフェンス、右は家屋と消防署が並んでいる。そんな一本道を進む。いつからかこの道が好きになり、時折スマートフォンを取りだしては写真を撮るようになった。長すぎず短すぎずのこの一本道が何かちょうどいい。真っ直ぐ前を見つめると、その直線の先ははっきり見える。ただ、少し目線を下に逸らすとその道のりはほど遠く思える。また、この道は駅に向かう時と実家に向かう時とでは違う。行きと帰りでは見上げた時の空の面積が違うのだ。駅側の終端には2年ほど前にタワーマンションが建設され、駅を目指すときの空には、それがポツンと存在している。
一本道を通り抜け、歩行者専用信号のボタンを押す。ここの信号はなかなか変わらない。横断歩道を渡ることで、さらに実家との距離が縮まる。そして、国道を渡った時よりもさらに、無音の中に点在する音の存在を掴み取る。自分の鼓膜が捉える音は、自分の靴がアスファルトを踏む音のみ。その音はやや規則的であり、というのも時折砂利を踏むことで少しばかりか規則を乱している。テンポが変わることはないが、踏みしめる音一つ一つに違いがあることを確実に鼓膜が捉えている。
小学校の校門前を通り過ぎてからは、もう十年以上も前の、あの頃の通学路となる。ここでも学校の敷地に沿うように歩みを進める。フェンスで囲われた角を曲がると、そこにはまた一本道が待っている。小学生の頃はとてつもなく長く感じたこの道も、今となっては大したことなく思う。意識的に目線を上に向ける、完全に空がひらけていた。自然と歩みが止まる。雲ひとつない、どこまでも澄み渡っている青、こんなにも広大な青があるのか。上はより青が濃く、下にいくにつれてその青が薄まる。薄まった青の手前には家屋の屋根がある。今まで確実に鼓膜に捉えていたリズミカルな音がない。完全に無音と化したのだ。この意識が遠のくほど遠く先まで澄み渡る青空のもと、無音の世界にいる特別感と無音の世界を作り出した優越に浸り、その感覚を堪能する。
どこからか自転車が近づいてくる音があることに気づく。再び歩き始める。その足取りは、先ほどまでのリズムより少しばかりか速まっている。

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