ディナチャリアの目的って?

”ディナチャリア”
アーユルヴェーダに親しい人ならよく聞くこの言葉。
”1日の過ごし方“を意味している。
朝起きてから夜寝るまでの1日の理想的な過ごし方を教えてくれている。
何時に起きたらいいのか、起きてからどんなことをしたらいいのか。
舌掃除、オイルマッサージ、軽い運動、お白湯などなど。
正直に言おう、ほとんどその通りにやっていない。
やっていることはといえば、舌掃除と白湯くらい。
今の私はそれが最も自然にできるディナチャリアだから続いている。
このケアはこれにいい、あれにいい、と。
もちろんアーユルヴェーダにはしっかりとした根拠があるからその通りだし大切なことなのは確か。
でも、そもそも何を目的にディナチャリアをするのだろう。
私が師事しているアーユルヴェーダ医が伝えて下さったこと、それは。
「ディナチャリアをすることは自己確認する為。それは自分の人生を好きなように生きるために必要なこと」と。
それを行った時に自分がどう感じるか、自分に何が起きているのかを理解すること、トレーニングすること。
自身の変化をキャッチすること。そうすると自分の傾向(何に弱くて何に強いか)を知ることができる。
きっとそうすることで自分の活かし方がわかってくるように思う。
以前、インド人の友人に「アーユルヴェーダって暮らしだよ?なんで日本人はそんな儀式みたいにやるの?」と
素朴に質問されたことがある。手段が目的化しちゃうって本当によく陥ってしまうこと。
毎日できなかったり、それにがっかりしちゃうより、
その“できない“を観察してみてもいいのでは?と、私は思う。
ちょっとしたことでも自分に心を向ける習慣は自分の状態をよく教えてくれる呼び水になる。
舌掃除だけずっと続けられているのは、毎日の体調の変化を特に意気込むことなく観察できる1番ストレスフリーな手段だから、私にとっては。
飲み過ぎることもままある私。それでも朝がきたら舌掃除をする。
良いも悪いもしっかり観る。やっちまった、ですよね、と舌を確認している。
なんでもほどほどに。

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