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「学ぶ」プロセス自体に楽しさを見出す


皆さんこんにちは。
三年生の新野です!

最近急に寒くなってきましたね…
朝起きたら洗面台に置いてあった化粧水が凍ってて苦笑してしまいました。笑

さて、今日のブログの内容は、

「なぜ僕は研究を楽しんでいるのか」です!


ちょっと自分の最近について棚卸しをしたいと思いブログを書かせていただきます。
ちょっと独りよがりですが(笑)、最後まで読んでいただけますと幸いです。

「せかいのみかたがかわること」の楽しさ


僕が端的に言うと、研究について力を入れているのは、「自分の見方が変わること」が楽しいからです。笑

学ぶということにはなんとなく二つのアプローチがある気がします。

1.新しく得た知見を利用する。
2.知見を得ること自体を楽しむ。

学ぶという過程においてプロセスは同じなのですが、目的が違いますよね。

たまに、友人から「なんでそんな学問なんかに力入れてんだよ、そんなもん学んでも意味ないだろ」というお言葉を頂戴しますが(笑)

これはまさしく1の学ぶということに関しての見方かと思います。

(もちろん、学問は「利用できる・使える」んだよ、という反論もできるかと思いますが、今回は2について考えたいので割愛させていただきます。)

すなわち、研究するということは、それ自体として楽しい、というのが今のところの僕の考えになります。笑


例えばですが、僕の班の研究の主題となっている「ブランド」について考えたいのですが、

読者の皆様はブランドの定義について、どのようにお考えでしょうか。

一般的な消費財に関しての見方はこうです。
「他社の製品や違いをはっきり示す名前、デザイン、言葉、シンボルなど」
(引用:井原(2004) pp94)

つまり、メーカーにとってのブランドとは、「他社との差別化」であり、消費者にとってのブランドとは「そのブランドによって得られる効用が保証されること、そして売買の際の他社の製品との識別」になると考えられます。

しかし、この見方は一部の消費財について当てはまることであり、すべての製品について当てはまるものではありません。

例えばエルメスやシャネルといったファッションの世界におけるラグジュアリーブランドにおけるブランドの定義は異なります。

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「歴史や伝統に支えられた名」であり、そのブランドの所有とは「社会階層の顕現化・見せびらかし」である、(山田(2006))と考えられるのです。

このように考えると、我々はブランド物を保有することによって、無意識・意識的に他者との差別化を図っている…


そもそも、人間は「他者との差異があるとそれを埋めたいとする欲望が生まれ、一度差が埋まると他者に差をつけたいという欲望によって差異が発生する。すなわち差異が欲望を生み出し、欲望が差異を生み出す」(石井(1993))


ブランド一つとっても、全く持って世界の見方が変わりますよね!笑

一面的に捉えていたものが、全く違うように見えてきたり、そもそも見えていたものが間違っているということがわかったり…

その知見を得、探求するというプロセス自体に楽しみを見出したい…

「考える」ということ自体が楽しいと感じられるのは、すごい幸せなんじゃないかなぁと思うんですよね。。。

だから、僕は研究にハマってます。笑

最後に!

ここでお知らせです!

1月18日(月) に弊ゼミではオープンゼミを開催します🔥🔥🔥


他大学、社会人の皆さまにご参加いただき、毎回白熱したディスカッションを行なっております!

日頃触れることのない(かもしれない)学問の世界を通して探究する喜びを得ませんか?

お待ちしております!!

ではでは…

参考文献

石井洋二郎(1993)「ブルデュー『ディスタンスシオン』を読む」藤原書店

伊原久光(2004)「ブランド構築の理論と実際--ハーゲンダッツのケース」長野大学紀要 25(4), 313-331, 2004-03

山田登世子(2006) 「ブランドの条件」岩波書店



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