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Xで見る謎炎上の理由(コンテクストの随伴性とその無視)

言語には五感をそのまま表すほどの能力は無い。

目の前にある光景を文字だけで説明することは出来ない。

文字のみでのコミュニケーションで発生する誤解が肉声では減り、顔を合わせれば更に減ったりするのは偏にコンテクストが存在するからである。

文字以外の情報であるコンテクストが増えれば増えるほど、誤解は減る。(逆に誤解が発生することもあるだろうがまあ一般論として納得できるものと思う)

極端な例だが、今朝の祖父母の会話を見てほしい。

祖母「あっ、ゴミ」
祖父「あぁ、でてたか?」
祖母「でてる」
祖父「わかった」


これだけみても全く分からない
分からないのだが補足を追加するとこうである

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ごみ収集の時間が近い
うちの地域のゴミ収集車は来る時間が不安定で2時間程度の差が出ることもある

祖母(外のゴミ捨て場を指さして)「あっ、ゴミ(出してなかった)」
祖父「あぁ、(ゴミ捨て場に他の家のゴミが)出てたか?(残っていればゴミ収集車が来てないということ)」
祖母「出てる」
祖父「(立ち上がりながら)わかった(今ゴミ捨て場に持っていく)」


ここまで説明して始めて状況がわかる

先程言った通りこれは極端だが、何かを相手に伝える時にコンテクストが無ければ意味がわからないという例である、或いは真逆に見えることすらある。


さて、本題に入りたい。

人間はコンテクストを自分の都合のいいように無視することが多い。何か前提があったのでは?とはあまり考えない。そのようにいつでも考えられる人は稀だとまで思う。殊更、自分の性質に関わるものなら尚。

広義で言えばこれらは自分の優位性を保つために行われると思う。

Xなんかでよく見る謎の炎上はほぼこれだと思う。

他人をとりあえずおかしい奴に仕立てあげて殴る。彼らは正しいかどうかに実際は感心ないのだ。揚げ足を取ってまで人を殴る。
(そもそも、正しさを理由に殴るのすら大いに問題があると思うがそれは今度別に話したい)

一部だけ切り取って悪いやつに見せるのもそれである。


常に文には文脈がある、それは明示できないものである可能性もある。そういったものに本当に少しでも、少しでもいいから(自分も含めて)意識を向けて話さないといけないと思う。

意識さえあれば、己の誤りを認めることが出来る。聞く必要のない意見の判別もすぐつく。

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