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里山から自治を考える 13「万博・ジャニーズ問題から」

今週は5回に渡って、里山太郎さんと今起こっている社会現象の違和感について、共有してまいります。

大阪・関西万博と兵庫県のフィールドパビリオン

 兵庫県の万博参加プログラム「フィールドパビリオン」ですが、私たちは里山をコンテンツとして、粛々とすすめています。粛々とすすめてはいますが、行政と民間っていろんな異なる次元(レイヤー)があり、そのレイヤーががっちり繋がっているかというとそうではなく、それぞれが別々の行動をしながら、進めていくということを暗黙の前提としている感じです。
 兵庫県及び斎藤知事は、県政や行政として「大阪・関西万博」をきちんと処理しようとしていますが、そのことと民意として盛り上がっているかというのは全く別のレイヤーですから、それ以上ではありません。

お上形式の日本人

 日本人の根底には、お上と台風等の天変地異には敵わない、というような「お上形式」なる諦観があるように思うんです。ヨーロッパは地べたが繋がっているので、敵対しているのは常に人間なんです。ところが日本は海に囲まれているため、その対象は、横の人間ではなく、上=お上とか天候や天災でしかなかったと考えています。
 雨が降っても天に向かって怒らないように、お上に対してもある意味従順というか、フレキシブル(臨機応変というか、そういう感覚の国民性というか、地域性なのではないかと思っています)。ですから「大阪・関西万博やります。」とお上が言っても、ああそうですか、みたいな国民性、他人事なのではないかと思います。

ポジションを築けていない日本

 日本人の多くが無宗教であることについて、海外からは、しっかりした宗教観がないというように思われているんですが、私に言わせると、宗教がないという宗教=八百万の神の宗教観なんですよ。ただそれが、テーゼされていない。グローバルスタンダードの中できちんとわかるように説明されていない。とにかくアメリカに服従していて、アメリカのいいなりになっているだけの状態。私たちの論理で説明しようという、ポジションすら放棄している状態なんです。
 そこで、麻生副総裁の戦争発言まで飛び出している。この戦争発言に対して、住民は、国民はシーンとしている。本来、ありえないよね。戦争をしない国家だった日本の副総理が、戦争発言をしても大きな話題にならないなんて。
 本当に戦争が起こった時に、国民はどうするのか。それでも、シーンとしているかもしれない。

ジャーナリズム精神なきマスメディア

 連日、マスメディアがジャニーズ問題を取り上げています。
 ジャニーズ問題よりも重要なことはいくらでもあるのに、多くの国民、そしてメディアが連日のようにジャニーズ問題を取り上げていますが、これ自体が異常です。
 もうこれらの配信は、ジャーナリズムでも何でもないと改めて思います。
 そして私たちの多くも、実は情報に対して遮眼帯を付けていて、自分自身の眼の前に来た情報しか、観ないようにしているのではないかとも感じています。
 ジャニーズ問題の根底にあるこの異常さ、気持ち悪さについて、そして、ジャーナリズム精神をなくしたマスメディアについては、また触れていきたいと思います。

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