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作品の値付けを考える。

自分の描いた作品に、自分で値段をつけるのはすごく難しいことだと感じる。
絵を描くこと、表現を探究することといった、自分なりに物事への価値を見出し、それを形にすることは今までやってきた。
ところがいざ作品を外へ出す(売買する)となると、その個別的な価値をお金という社会の中で共通した価値に変換する必要が出てくる。私はまだこれに慣れていない。

絵の価値とは何だろう。
絵はその人が人生の中で経験したこと、考えたこと、感じたこと、好むか嫌ったことの集積であり、画家たちはそれらを自分のしっくりくる表現で描くために探究するのだと思う。だから自分の人生をがむしゃらに生きるその張本人にしかできない表現がある。

画家その人の人生を費やして作られたものと真に同じものは作れないから、その画家の作品を手元に置いて楽しみたい場合にはどうにか等価となりそうな金額と交換してもらう。
それが作品を買うということなのだと思う。

とはいえ実際売り手側になってみると、どうしても、"この値段では不相応に高いと思われないか、買ってもらえるのか"と不安になってしまうことも多い。
しかし、自分の作品の価値を認めず、納得のいかない値段を付けたとして、買われてしまったらもうそれまでなのだ。その値段で作品を手放してもいいものか、悔いないように考える必要があると思う。
得た技術や費やしてきた時間だけでなく、自分が自分として生きてきた中で得た固有の価値があることを、自覚し続けていなくてはならない。

今の時代、絵というものは生活に急を要するようなものではないし、絵を買っていただくということにハードルの高さを感じる。
でも、絵が伝えられること、助けられることは必ずある。生活の彩りや心の癒し、エンパワメント。違う世界に行くようなワクワクとした気持ちを、絵は生み出してくれる。
絵にしかないパワーがある。私だから作れるものがある。それを忘れないでいたい。

話が逸れてしまったが、絵の値段というトピックの結論をまとめておきたい。
絵が個人の人生の集積という観点を考えると、単純明快な時給換算などで値付けするというのは私には難しい。結論として釈然としないかもしれないが、結局のところ自分が手放してもいいと思える値段をその時々で付けて、悔いのないようにするのが一番なのだ。
迷うことはあっても、自分が信じて構築してきた価値を下げたりしないようにだけは気をつけたい。







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