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第1章 3話 宇宙采配のキス(3/3クライマックス)
二人同時に覚者の夢を見てから2週間が経った。
覚者に嫌悪感を覚えた男性の名は、眞人Makoto。あのあと、なぜかたまに夢に見た覚者が閃光と共に脳裏に浮かぶ事があった。「なんでだよ…」ちょうど今もその現象が起きて頭を振って両手で髪を掻き回した。
2021年11月11日 午後1時19分
もう1人、同じ夢を見た女性の名は真理子Mariko。同時刻、彼女はあるカード会社が顧客向けに開催したクローズドなピアノリサイタルの真っ最中だった。渾身の5曲目、ベートーベンの月光(ピアノソナタ第14番)を演奏し終わった。
ラスト6曲目。1時45分が終演時間で、最後の1曲に魂を込めて目を瞑りながら楽譜をめくる。
深呼吸をして目を開けるとなぜかそこには、予定していなかったジムノペティの楽譜が現れた。
用意したはずはなかったが、もっと驚いたのはそこに、青い字で走り書きがされていることだった。
第1番 (Lent et douloureux)
「ゆっくりと苦しみをもって」
第2番 (Lent et triste)
「ゆっくりと悲しさをこめて」
第3番 (Lent et grave Personne éclairée)
「ゆっくりと厳粛に覚者が現れる」
この注釈は、ジムノペティの定番だ。だが普通はない「覚者」という言葉に真理子は心地よい胸騒ぎを感じた。
その字は自分の愛用している万年筆で書かれ、記憶にないが自分の筆跡だった。祖父の形見のモンブランに合うインクをロイヤルブルーのオリジナルで作ってもらっているのですぐ判別がついた。
一体?!どういうことなのだろう?
200名の観客の前で怯(ひる)むわけにはいかない。
演奏するしかないわね。
真理子の気丈さがすぐに彼女の全身を整えた。
鍵盤の始まりの定位置に両手を添えると、一瞬にして水を打ったように会場が静寂に包まれた。
演奏が始まった。
その頃、眞人は近所のカフェで、某車メーカーのR&D部門部長と保険会社に、車が空を移動する際、車と障害物の衝突理論値と空の3次元(緯経度と高さ)マップとの相関関係を説明していた。それにより保険会社の保険が開発される。
真理子が弾くジムノペティが第二番に差し掛かったその時、
「ओम् om オーム」
自分の声より5オクターブほど低い振動が…
眞人の心臓に浸透した。突然深い悲しみという鈍痛で覆われ、心臓はゆっくりと動きを止めた。
眞人は、表情を硬直させたままカフェの椅子座面を支点に右に弧を描いて床に倒れた。
なぜか、自分を外側から感じている自分がいた。
すべてがスローモーションで流れていた。
そこには、なんとも美しい旋律で映画のBGMのようにジムノペティが流れていた。
気づくと朝靄がかかった海岸のような広陵の砂地に裸で寝ていた。
自分に何が起きたのか理解できない。
目だけを動かして辺りを見回すと、1人の男が自分の頭頂から近づいてきた。
男は朝靄の干渉を受けない真上まで歩いて来て正面を向いていた。だが眞人には分かった。あの覚者だった。
そして、覚者はスーッと屈み彼の両目を塞ぐように静かに手のひらを当てた。
どのくらい時間が巡っただろう。
眞人が目を開けると、場所はアパートの一室だった。白い天井からちょうど喉のところにまっすぐ伸びた裸電球が自分を照らしていた。
2021年10月18日 19時19分
覚者は頭頂に手を当てて、声を奏でた。切ない不協和音の振動が心臓に浸透し、全身の生体電池がいつも通り活動し始めるのを感じた。
すべては一つだった。
それは宇宙の美学によって形成される。
メゾネットタイプの2階で2021年10月22日13時17分愛が認識され宇宙を包んだ。
そこに
数式が言葉として縁を成し、音楽がその縁を運んだ。
誰もが無意識に関わっているのに自分がそこに関わっていることさえ気づかない。
しかし、とても重要なその構成要素1つ1つが奇跡的に0コンマ1秒たりと狂わずある一連のループパターンに作用し彼らを組込んだ。
そこに時系列はなくループが巡るだけ。
心停止から命拾いした4日後に覚者を舞に教えたのは眞人だった。
そして舞がその体験を伝え、真理子が朦朧とした時、無意識に楽譜に走り書きをしていた。
たった今、ポータブルベッドに横たわり眞人は命があることへの感謝と感じたことのない至福に溢れていた。
同じ時、真理子は舞台の真ん中に立ちスタンディングオベーションの中で、何かわからないけど何かを成し遂げた感動の涙を流し至福に細胞を震わせていた。
2人の細胞の震えが完結すると、役目を果たし終えたかのように、覚醒者の部屋は素粒子となって静かに美しく消滅した。
それは、ほんとうは存在しなかった。
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