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おお、と思った

節分、素晴らしい日の締めくくり

たまたまちょっと前のアカウントからTwitterにログインしてみたら、
その時のフォローしてた人たちのままの世界線でタイムラインが流れてきて

いまだに2020年の時からはじまったあれやこれやの話、、、している、、、、!?

それはそれでもちろん正しい道なんだけど
なんというかタイムカプセルを開けた様な感覚があって

過去に置いてきたものを開く的な


二極化ってこういうことかもなぁ
というのを体感しました。


もうひとつ、このタイムカプセル開けたようなことと関わる様な関わらない様なでも繋がっていそうなことで今日さらに腑に落ちたんですけど

自分の身に直接起きていない、災害や迫害やを
すごく寄り添ってしまう方に違和感が、ずっとあって

(私も、気持ちが本当に向く場所に寄付とかはします。それはそういう状況関わらず、たとえばこども食堂とか、動物保護団体とかも同じ様に)

なんというか身体を通り越して寄り添ってしまうことって、きつい言い方をすれば、傲慢のように感じちゃうんです。
だって、本当にその状況下にいないとわからないし、
その状況下にいなく、のうのうと現実的幸せを享受できちゃている、現実を過ごしているのに、同じような気持ちになるのって、失礼だよね、と。
目の前の幸せを味わった方がいいのに。

と感じる私はまさに薄情なんですよね。

情。
外の世界(会ったことがない人たちとか、居たことがない世界)へのやさしさは、情なんだろうな。ということを今日はかんじていました。

もちろん、その美しさもある。

でもみんな意識で繋がっているし
DNA辿ればみんなひとつにいきつくんだから
そんなに考え込まずにいまの一瞬一瞬のじぶんを愛するだけで

先祖も前世も来世も隣人も世界中の人々も
動物も植物も水も火も風も土も

癒されるし、救われる。
そのことを信じて
生きて愛して生きていたいなと

思いました、節分。

まずはじぶんから。

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