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望むものにフォーカスするとは。観測というものについて私なりの考察。

昨夜インスタライブをしようと思い立ち、今朝から話す内容を整理しようと考えておったのでございますが、お!これ面白いかも!という考えが浮かぶものの、本番になったら緊張しちゃうし覚えてられないぞ、となってnoteにまとめてみようと思います。(書いてくうちに流れで不登校ネタも出てきてます。最後は夫のラッキー体質について。インスタライブでは気持面の細かいとこの話とかしてます。あと、夫の幸運体質野郎本人によるラッキー当たり前のた解説も)インスタライブのアーカイブはこちら⬇︎コメントたくさんありがとうございました!!


全然しょっぱなからちょっとそれちゃう風なんですけども、ころな生活になってからというもの神夫がリモートでおうちにいるため家事をする時間が激減してしまい、、、これではいかんと最近率先して朝の家事をするようにしております(といっても掃除機とほんの少しの洗い物と洗濯物くらいなんですけど…)。

で、この家事というのはもうかなりの間ルーティンでやっていたことなので、考えずにできるというか、ロボットみたいにやっちゃうじゃないですか。自然と。そうすると、余計なことを考えないで済むんですよね。それが返って考え事をするのにもってこいだと今朝改めて実感いたしました。

中でも掃除機をかけている時。家に自分以外の人間がいるので気が散ったりするのもありますが、その点、特に掃除機をかけている時は掃除機の音でそのあたりとも遮断する効果があるのでしょう。ぐるぐると「エネルギー」について考えるのに集中できて面白かったです。掃除機瞑想と名付けようと思います。いつまで続くかは謎ですが。そういえばワンオペ時はこの時間にその日1日にやることのスケジュールなんかをぺぺぺっと考えていたなぁと思います。身体を動かしながらだとその辺の回転も良くなるのだろうと思います。


さて、話を戻しまして、


「なんで望むものにフォーカスするといいのか」

っていうハナシなんですけれども。

わたくし、何度も言ってますがいわゆるスピとか目に見えないものについて考えてた時と、そこからきっぱり離れた時期があり、その離れてた時期の終わりに、「ふわっとした言葉でなくって理屈でそっちを説明できないのか?」という思いがありました。そこでいわゆる視える友人に「Newtonとか、量子力学面白いよ。神聖幾何学も面白い。」と言われてNewtonなんかを読み漁ったりなんかして考えるようになったんですね。視える人に言われて読むって時点が「ふわっ」と「理屈」の間だなぁと面白いのですが。でも結局、「どっちもある」にしかならないので、「どっちが好きか。その時どっちに行きたいか」だけなハナシなんですけども。

これ、愛されフェス前のインスタライブでもお話してみなさんに大変笑っていただけたネタなんですけども、Newtonって面白いんですよ。
量子力学って聞くとよく出てくるのが「二重スリット実験」「シュレディンガーの猫」だと思うのですが、YouTubeで見てみたりNewtonを図書館で借りていろいろ読んでその辺を自分なりに解釈してみたんでした。ちなみに私、学歴でいうと高卒ですし、文系だったし物理とかやってないんですよね٩( ᐛ )و。(なので、細かいところはちゃんと理解できてないかもしれないし、説明もふわっとしてるところがあると思います。が、そこは広い心で追求しないで!!)なので、「なんだ、学校でこんな面白いことやってたんだ〜」とちょっと思ったのでした。夫は絵に描いたような学歴の持ち主なのですが、YouTube見たりNewton読んでわーわー言う私を見て、「ゆみちゃんは老人大学なんていいかもね」なんて言ってくれています。


で・ですね、二重スリット実験とシュレディンガーの猫についてはこちらが大変わかりやすかったので、興味のある方はどうぞ。動画を検索してたら子どもむけのものも結構あって、こういうのを小さい頃から見れる今の子たちって、親たちとは全然違う視野の広さ持ってて当然だよねってちょっとワクワクします。

あと、RASっていう脳の機能があって、「Reticular Activating System」の略で日本語では「網様体賦活系」(のうかんもうようたいふかつけい)っていうそうです。覚えられない(笑)。こっちも大変面白いんですけども、なんかわかりやすいサイトがすぐ見つからなかった。。。引き寄せとかのページだといっぱいあった。

で、いろいろ見て何が言いたいのかと言いますと「本当に見たいように見れるみたい」ってことです。

二重スリット実験だと、「光の粒は「観測者」が入った時とそうでない時の様子が違っている。予測できない。でもその予測できないものでこの世界の全ては構成されている。」ということ。


量子コンピュータの記事とかも読んだんですけど、むずい!で、⬇︎の動画がわかりやすかったです。量子コンピュータって、今ある1マスに0か1、で組まれているものとは違って、1マスに0と1が常に重なりあってそれがこう、常に移り変わってるっていうかとにかく、「どっちもあるしどっちか片方でもあるしどっちでもない」みたいな状態なんだそうです。シュレディンガーの猫みたいにね。
すごく昔からこういう研究はされてきたみたいなんですけど、それが頭の中の理論だけにとどまらず、ミクロな世界の一見予測不可能な現象が、少しずつ目に見えるマクロな現実のものとして取り入れられている。人間が理解できるものがどんどん増えていってるって思うとすごいなぁって思います。また、どの動画にうつってる研究の人も楽しそうに話してるのがまた面白いです。

ブラックホールってね、あの黒い部分の表面に情報が記録されてるんですって。マトリックスみたい!そして、なんかアカシャにも似てるなって思いました。


通勤時間に実験してみた

でですね、そのNewtonとか読んでた時に、「じゃあ本当に意識して現実に表すことってできるか」って実験してみたんですね。
その頃車で片道20分くらいの場所に通勤してたんですけども、その行き帰りで

「1111〜9999までゾロ目ナンバーをコンプリートできるか」

っていうのをやってみたんです(笑)。

通勤って毎回同じ時間に同じ道を通るわけですから、そりゃね、毎回会う車もいるんですけどね、でもそれだけじゃないですから。まったく同じ時間に皆が同じ場所通ってるわけでもないしね。あと、帰りに買い物に寄るスーパーの駐車場で偶然見かける車、もOKにしました。1日の通勤時間がせいぜい30〜40分だったんで…。さすがに、4桁ゾロ目ってなかなかレアだったんで、途中3桁とか、1台だけとかなら2桁もOK!とかにしたんですけども(1桁はノーカン)。

結論は「できた」。

です。1ヶ月経つ頃にはかなりの確率で1〜9をその日のうちにコンプリートできるようになりました。

そしたら次は通勤じゃない時にもやらないとと思って、夫とおでかけする時なんかにやってみました。こちらもほぼほぼコンプリート可能。「本日はあと3だけでございます〜」なんて運転中の夫に報告しておりました。

で、ここで出てくるのがRASのハナシ。人の脳は常にすごい量の情報を処理しているので、その全部をまともに処理してるとわずかな時間で餓死しちゃう。なので、RASというフィルターを作って、本人が意識していること、本人にとって必要なもの、生存に必要なもの、なんかを優先的に捉えて、他はポイポイ捨てている。っていう機能があるんです。この機能がないとすぐ餓死するってすごくないですか。脳みそって糖分たくさん使うっていうけど、それにしたって餓死って…。

確かに、興味のない話をされても全然頭に入ってこなかったりするのに、意中の人の動きや声がやたらとしっかりキャッチできたり。逆に嫌いな人が嫌いな動作をするのがやたら目に付くとかいうのもそうですね。
例えば、うちの場合ですと、息子がロードバイク欲しいって言い出したことがありまして、ロードバイクは高いからクロスバイクにしてもらったんですけどね。どんなのがいいかいろいろ調べてたんですね。そうすると、出かけた先や車に乗ってるとやたらめったら「ロードバイクやクロスバイク」を見かけるようになったんですね。

あれ?この道、こんなに自転車多かったっけ?って思うわけです。
ぶっちゃけ、たぶんね、普段から走ってたんでしょうけど、「別に重要視してないから情報として入ってきてなかった=記憶に残ってない」んですね。

あとは、うちが何年も前にSUBARUの車を買った時も、SUBARUに決まりかなぁと思ったとたんに「SUBARU車」とすれ違うことの多いこと多いこと!!うそやん。いっつもノアかステップワゴンだらけだったやん。って思うのに、あのきらりと光るエンブレムとしょっちゅうすれ違う(笑)これ夫とも不思議がってましたが、要するに、そういうことだったんですよね。


で、やってみた実験の時はですね、

「意識的にそれを狙ってやってみたらどうなんだ」

ということをしてみたかったんですね。なんかほら、SUBARUとかクロスバイクは必要に駆られてというか、無意識に意識して(日本語変だけど)流れみたいな中で起こったんですけど、いわゆる目に見えない世界のお話で「引き寄せ」とか「心の持ち方次第」みたいなことを言われるじゃないですか、天邪鬼なもんで、「じゃあエンジェルナンバーみたいななんかラッキー的なことでも意識しちゃえばできるってことやないか?」と思ったんですね。←ありがたみが薄れるようなことをしたがるところがひねくれていますね。。。

で、実際にできちゃったわけです。通勤の時、「行きで1と2と5いけたから、帰りは3、4、6、7、8、9だな。」みたいにちゃんとチェックしながらですね、んで「あと5だけじゃん。来い来い。」とかね。意図的にいきました。そうするとなんか面白いくらいに「555」とか来るんですね。時々「5」とかで「ちょっと違う!惜しい!!」ってなったりしてましたけど。

※車のナンバーを見るのって昔からなんか普通なんですけど、ずっと凝視できるもんでもないから逆に信憑性があがる気がしてました。見た時にあるんだから。

で、そんな風に意味があるんだかないんだかっていう実験を1人でしてたらですね、

「だから、余計なことは考えるな」っていうんだな。
「良いこと考えろ」っていうんだな。

って納得がいったんですね。ぶっちゃけこの頃って、単身赴任でワンオペだし子どもも絶賛思春期だったんで、いろいろね、不安もあったわけなんですけども、こんな一見わがままなどうでもいいようなことでも「意識すればなんとかなっちゃう」んだったら、これがね

家族のこととなるともっと影響する

って思いました。

1人につき1宇宙、なんて言い方もありますから、観測者ごとにその世界ってその人だけのものなんですけどね、なんとなく、縁あって家族として共にいる、縁を繋いだ者同士って、それだけじゃない関係性あるじゃないですか。

自分以外はすべてエキストラで、自分の世界に演者として登場してくれてるとかそういう見方もできるんですけど、時間軸と肉体があるんでそれがめちゃくちゃリアルだし、身体も触り合えるわけだし、絶対にそこで影響するものってある。

もちろん、その人の世界はその人が許可したことしか現実化しないので、結局最後のところは影響なんてできないと思うんですけど、親子関係だったりすると、日々の声かけだとか、一緒にいて感じる空気みたいな、そういうもので干渉し合うことってあるんだろうなと思ったのです。

逆に、普段関わりがない人がね、なんか別にどんな感じで過ごしててもあんまり気にならないじゃないですか。


で、実験からしばらくして、息子がパニック発作を起こしたんだったと思います。原因は春から続いた教師のパワハラでした。相談にも言ってたし他の親からも苦情があったようです。過去には故意で学生を落第させたこともあったような人だそうです。その時にうちの子が『HSP』にめちゃくちゃ該当すると知りました。それまで繊細と思うことはありましたが、親子喧嘩もするけど明るく楽しくやってましたし、そこそこ頭も良い子だったし、仲良くしてくれる友達もいて(転校決まってから遊びに来てくれた子もいた)まさかの出来事でした。今となってはあの頃からキてたなとか、繋がってるな等思うことはあります。

その後半年で転校して自宅通学を始め、そのまた半年後にアルバイトを始めて進路について考え始め、その半年後に次の進路を親の手を借りずに調べて実際にオープンキャンパス通って決めてきました。今アルバイト先のママさんたちにも可愛がっていただいてます。まじ養の星持ってる子はどこいっても年上に可愛がられる😂


でも、具合が悪くなったもう初めはいろいろ大変で、とにかくこの人が死なないようにということもあったんですけど、本人の塞ぎようがやばくてですね。家の中暗黒期。親もこの先のことを話しに面談行ったりカウンセリング受けたり病院探したり(この病院探しがまた大変だった!)してるんだけどまぁ、なかなか大変でした。

本人はね、もう本当にいつもうつらうつらと寝てるんですね。あれって、生きようとして、動きを最低限にまで落として、情報シャットダウンして、とにかく気力を回復させてたんだと思います。鬱だったと思います。診断は『急性ストレス反応』でした。実際、発作を起こす前に「音が大きい」って言ってたんですね。あれ?って思ったらもうだめでした。もともとHSPで小さい頃から聴覚が鋭いのは知ってましたが、ストレスやいろんなものが原因で身体も脳も疲れてRAS機能が弱くなっていたんだと思います。

この頃やっていたのは、とにかく焦らせない、おうちにいていいということを言い続ける。(最初は時々どうすんの?!って話し合おうとしてましたが、それで良くなることなんか絶対にないです。マジで。)あとは

心配しない。

でした。

いろいろ将来のこといらんこと言うてくるやつもいるんですよ。担任なんて自分は学生時代先輩から腹にマイナスドライバー刺されたことありますけど何くそって顔してましたよ。なんて言ってたからすごく逞しい人なんだと思います。あと運も良かったんじゃないですかね、バイ菌とか入ってたら大変でしたよね。
『うちの子、そういうタイプじゃないですね。』って言い返しちゃいましたけど。自分がそうでないとわからないんだと思うんですけどね。


あとね、良くなる未来を想像する。っていうのもおすすめされるけど、どんぞこの時ってなかなか難しいです。実際問題目の前に死にそうな人がいるんで。

なので、

心配しなくて大丈夫。
いくらでも、どうにでもなる。

と思う。そう思うように意識しました。不登校の子供を持つ親のオンラインサロンなんかにもわりとすぐ参加してそこで得た経験談なんかもすごく助かりました。何度もお薦めしてるここ。代表が男の子でHSP。高校〜大学の不登校でって状況が似てたので、まずはその人から似た状況の男の子に親がどんなふうに接したらいいのかすぐに聞けたのが大きかったです。他のスタッフさんもHSPさん多く。本もたくさん読みました。


そしたらね、だんだん元気って勝手にたまってくるみたいで、少しずつ本人の活動時間が増えてきました。ご飯はちゃんと食べてくれてた(のがもともと救いだった。さすが食神持ち)んですけど、その時に会話が増えたり、ちょっと先のことを話すようになったり。

でもここでね、じゃあ!もういけるね!!ってなっちゃいけないんですよ。
本人無理してそう言ってるっていうのあるんですね。そういう時って知らず知らずのうちにこっちがプレッシャーかけてたりします。なので、明らかにまだ無理なのにそういうこと言ってる時はあえて「まだいい。」といって止めました。止めると「ほっ」とした顔するのを見てこっちも安心してました。

進路をどうする?とか締め切りがあることはね、どうしても辛い中でも話し合って結論出す必要もあったんですが、それ以外は基本「まだいいんじゃない?」っていうスタンスでいきました。でもね、これが結構辛いんですよ。
だってどこにも確証ないし。信じるほかないのです。

そうあって欲しい。
っていうか、そうあるべきだろう。この子の将来。

っていう親の希望満開でしたね。今思うと。
おかしいだろう、子どもがこんなことで苦しむなんて。しかもうちの子が!!っていう親目線もありましたけど。

そこでやっぱりね、一緒くたにしちゃいけないのが

心配という言葉で、自分の不安を向けないこと。
自分の中でも、不安にフォーカスしないこと。

だったんですね。

そうこうしてたらですね、四柱推命に出会ってしまい、自分がそこにハマって楽しすぎたもんで、そっちにハマってったらですね、また一段と状況が改善していったんですね。

自分のことにもっとフォーカスしよう!

って思いました。心配するって行為って、自分の中の不安とか、見たくないことに蓋をしたりするのに便利な場合があるんですよ。親だからもちろん心配はするし今もしてますけど、度を越す心配ってあるじゃないですか。あれはなんか、自分じゃないものにフォーカスすることで、自分にフォーカスしなくていいようにしてるんだなって思いました。実際私も、子どもがそんなんだし世の中もころなだから、私は好きなことできないなって愚痴ってた時期ありましたから。その度に「ゆみちゃんも好きなことしようね」って夫が言ってくれて救われてたんですけど。

で、鑑定師になってみて、そこからいろいろエネルギーについて学んでみたりして、それまでとは違う価値観に出会って、それをまた自分の中で実験していくとですね、ご時世もありますけど、それまでだったら有り得なかった出会いもあったし、こうなったらいいな〜っていう働き方にもどんどん近づいたし、何より、家族についてあれこれ心配することがあんまりなくなりました。まぁ、もう大きいからっていうのもあるけど。

自分のことは自分の責任。子どもには子どもの人生がある。


四柱推命を学んでね「え、そんなことをしたがる星があるんですか」っていうのを知ったのも大きいんですけどね。(ほんと星っていろいろあってウケるんです)
自分を責めなくていいんだって気づいて、それなら、『そっちでもいいんじゃない。自分が選んだ方でいいんじゃない。自分で責任はとらなきゃいけないけど、とりあえず、やってみたらいいんじゃない。』

ってわりと本気で言えるようになったんですね。

先日息子に、「俺に望むことは?」って聞かれたことがあって、

「ご飯食べて元気にしてればいいんじゃない?」って返事したら
「ハードルひっく!」って言われました。
「だって死にそうだった時に比べたら、今めっちゃすごいじゃん。進路も自分で決めたしさ。」って言ったら「確かに〜」って言って笑ってました。

親なんで心配は尽きないんですけど、でも、これでよかったなあと思いました。

実験からどんどん話がとんじゃったんですけど、実体験として、心配しすぎないことが解決への早道(何をもってして解決とするのかはまたそれぞれですけど)ということだけは本当に思っています。そして、

そうだなぁって思えたことを、こうして書いて意識を新たにすることで、彼なりの未来へのリスペクトへ更にフォーカスできたらいいなと思う

んですね。

後ですね、良い方に考えるっていうのの体現者がうちの夫でして、いつものうさまるもそうなんですけども、先日、彼のうっかりで大変な計算間違いをしてたのが発覚したんですけどね、うちのライフプランで。死ぬかと思った。まじで。財星ないけど正官だし一回死んだ。一瞬、夜も眠れないと思ったんですけどね、目の前のミスかました当人が

「まあなんとかなるやろ〜〜」

ってニコニコしてたんですね…。

そしてニコニコしながらうさまるを見てました。

その時に、

「あ、こっちに乗っかろう」

って瞬時に思ったんですね。昔の私だったら「ちょっと待て!お前どうすんだ!!ふざけないで相談しよ!!」ってなってたんです間違いなく。
しかし、ここ数年でいろいろ自分なりに実験した結果、まあどうにもならなかったらその時は首根っこ掴んで話せばいいから、この「えへ」っていう意識に乗っかろう!!って思ったんですね。

何より、夫はラッキーボーイ体質なので、私がそこで足を引っ張るパターンが多かった自覚もあるんで…。これはあやかろう!!と、

「そ、そうだよね〜!いざという時は任せた!!」

と乗っかる(丸投げ?)ことにしたんですね。

そしたらですね、その数日後に、解決…。
あれ?な顛末でした。そして解決する前日にはうさまるグッズが届いてました。
内心「おいっ!」て思ったんですけど、なんだろうこの、

未来への根拠のない安心感


あとですね、これは夫ネタで前にも書いたんですけど、それが実際に現実に現れた時のキャッチ力。これ絶対に大事。

実験もそうです。実際にね、1111とかゾロ目がきた時に

「でもこの車はよくすれ違うから…」って否定、無しにして、カウントしなかったら?

たぶん、その後の結果は変わってたはずです。
自分が意識して現れたものを否定しちゃうからね。意図したことを否定しちゃうってことですから。打ち消されちゃうもしくはそっちが強くなることだってある。
「こういうのがいい!」って意識しなおすのはまた別ね。そっちは大アリだと思います。



私が独身の時、絶対に豊かに愛されて育った人と結婚しよう。ギャンブルしない、顔もそこそこいい、背は私より高い、田舎から連れ出してくれる人、タバコも吸わないとかね、結構わがままな条件を出してたんですけど、その通りの人が初めての恋人として現れたんですね。

その時は「なんかそうあるべきだろう!!!」っていう、なんかものすごい強気な逆ギレ感もあるような思いがあったんですけど、それが現実化した時に、ちゃんとそれを「はい!!」といって掴めるか。「あ、なんか実際に来られると、なんか分不相応に思えて怖い」ってなったら、それはね、全然違う結果を生んでただろうなって思います。とりにいくって大事なの。

もちろん、そういう未来(とりにいかないで他を待つ)がいいって思う私もいるかもしれないんだけど、でもここにいる私に続く過去の私はそう思わなかったのでありがたく飛びついたんですよね。


ちょっといろいろ書いてるうちに話がほうぼうにいったなぁ(これ昔からこうで、もはや二重スリット実験とかと繋がってると思ってるのは自分だけなんじゃないかと思ってしまうくらいほうぼうへ飛ぶ。)と思ったらそろそろ帰宅しないといけない時間!(IKEAで書いてたら日が暮れてた…)

とにかく、

自分は観測者。

人はみたいように世界を見る。
観測者がいることで定まって現れるものがある。
だからこそ、ちゃんと意識しよう。
自由に観測することを自分にOKしよう!

心配しすぎないで、夢を描こう。





インスタライブでもこんなようなことを話そうと思います。

ていうか、皆もっとわがまま言っていいよってだけなのかもしれない。









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