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言わなくてもわかるでしょう?という人を不思議に思う

「(それぐらい)言わなくてもわかるでしょう?」
このように叱責してくる大人が非常に多いと、子供の頃から今に至るまでずっと感じている。

そういう人に私はこう返す。
「いや、自分エスパーじゃないんで」と。


一応職場ではオブラートに包んでこのセリフを返しますが、例えばうちの社長の場合は鼻白んだ表情をしますし、むかし父親に向かって言ったときはそれはそれは怒り狂っておりました。

気分を害するのもわからなくはないんです。
わからなくはないんですが、それよりも「本当に伝わると信じているのだろうか?」というところが不思議でならない。


仕事に限った話ではないんですが、私としても円滑に話を進めたいとは思っています。

あなたに対しそれなりに愛情があれば、あなたのことを理解できるよう努力し、いつの日かツーカーで通じる関係になれると思います。
けれど私はあなたの恋人でも伴侶でも親でもないわけで、あなたの言いたいことをわかるような存在になりたいとか、存在になれるように努力したいとは思わないのです。そのような労力を厭わないほどの愛情がないので。

もしくは非常に馬の合う相手であれば割とすんなりできるとも思います。
ですが、そうでない人にそういうのを求められても「あまえんな」という気持ちが先立つのです。

気を回したり先回りしてもいいんですけど、それは根拠の薄い推測であり勘だよりなわけで、当たってるかどうかわかんないんですよね。
そんな状態で「なんでわかんないんだ?それぐらいわかるでしょ?」と叱責されても、こっちとしてはただ抽選が外れただけという認識であり、何が悪いのかさっぱり理解できない。
そもそもこちらが悪いのか?というところから疑問に思う。

受ける側からすると、傾向と対策を練るにも時間はかかるし、その都度どういう対応がよいのか頭を働かせなければならず、無駄なリソースを割いているとしか思えない。
そして言う側からしても、毎回伸るか反るかの賭けを行うぐらいなら、ちょっと手間を掛けて期待どおりの結果を返してくる確率を上げたほうが、遥かに健全で効率的だと思うんですよ。

なのではっきりと言わせていただく。
口にしなければあなたの考えは伝わりません。

そういう当たり前のことを見失いがちになるからこそ、「求めよ、さらば与えられん」という言葉が現代でも有効なんでしょうね。
この言葉を言った方は本当にすごいと思います。


ちょっと脱線したので話を戻しますが、この件に関しては取り敢えずの対策を持ち合わせております。

それは、
”私の方からそれはそれは申し訳なさそうな雰囲気で「自分の理解した内容とお考えの内容とが違っていてはご迷惑をお掛けしてしまうので、念の為どうしたいのかをお伺いしてもよろしいですか?」と続ける”
というもの。

大抵の場合、これで目的がささっと達成できます。

私が大人だとか相手の対応が(拙いのはあるが)悪いとかじゃないんです。
また、自分のプライドを捨てるのかとか、そういう話でもありません。

とにかく無駄な時間がかかるのを避けること、ただその一点のみ。
プライドという話であれば、いかに時間をかけずに進めるかという点に賭ける。

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