2019年

今年も一年が終わろうとしています。

ここ2〜3年は自分の感情や考えを言葉で表現する練習のために手元のメモへ色々と書きためておりましたが、今年はそれをここ note にて「チキュウの歩き方」というマガジンとして投稿するようにしました。
元々SNSなどが嫌いで持て余していた Twitter の使い方を見直したのと相まって、人様の考えや反応というものを目にすることができ、非常に勉強になった年であったと思います。

また、”偉い" と呼ばれる地位の人間であっても、日本語がとても不自由なのだと感じた、とても恐ろしい年でもありました。
これは私の言葉の使い方が非一般的なのか、それとも単にうるさいだけか。自身の感情を言葉にすることで頭がスッキリしたからなのか、言葉にする段階で語彙力があがったからなのかはわかりません。

ただ、同じ音を発する相手と音を交換し合うからといって、その音の解釈や意味が同じだという保証はないんですよね。
話し合いをし、そこでお互いがそれぞれに納得できる解釈ができて満足し、握手して解散する。けれどその解釈が同じではないために、後々「言った・言わない」の水掛け論に発展する。そんなのばっかりが目についた。

そういう手合にいくら言葉を重ねても、言葉を交わすだけでは意思疎通がはかれず時間の無駄でしかないので、図と簡単な言い回しや短文だけで資料を作り、それをテーブルに広げて話し合うということを繰り返しました。
まず意思疎通できてないと話し合いや相談なんて無理なので、これはとても手応えを感じられました。

資料の準備に時間はとられますが、打ち合わせ時間が短く済むうえ、相手の都合などで話し合いまでに期間が空いたとしても、資料を見返すことですぐに前回の続きができる。
また、話し合いのなかで意見やその場の結論をどんどん図に書き込むことで、その場で意思疎通をはかりつつ資料として残すこともできるなど、意外と利点があることもわかりました。

この方法を確立するまでかなりイライラもしましたが、他人の視点やその集団を見下ろす視座などを想像できたので、そのイライラもしっかり自分の糧になったと感じております。

さて、来年はどんなことが起こるやら。
怖さもありますが、楽しみでもあります。

それでは、皆様におかれましても来年は来年なりの実りのある一年となることをお祈りいたしまして、今年はこれで失礼をば。よいお年を。


追伸
このあとに、こんな一年を乗り切るために大活躍だったBGMをいくつか紹介させていただきます。
良いか悪いかは抜きにして、こんなノリでも社会人や会社員はできるんだと覚えておいてください。
どうにも「いかにも」な会社員じゃないとダメなんだという、固定観念というのか強迫観念というのか、そういうのが強い若者が多い気がしたもので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?