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消えた純度100%のエッセイノート

確実に夏が近づいてきてる。実家に帰る夏になると思い出すのが手元からなくなったノートのこと。(怖い話ではありません。)

小学2年生くらいの頃、冷蔵庫を開けっ放しにして中身を全部出し、隅々まで拭き上げることにやりがいを感じていた時期があった。今思えばとても地味な楽しみだがやっていた。

ある日、絵日記の宿題で困った私は冷蔵庫の掃除について絵と文章を書いた。その日記が先生から戻ってきたあと母に見せると「K子(私)日記上手に書くね。お母さんより上手よ〜。」と褒めてもらい、その瞬間「私は日記が上手なんだ!」と純度100%素直に受け入れ、作文が好きになった。

小学5年生くらいになった頃、さくらももこのエッセイにはまっていた私は、よく父が話した昔話をエッセイにした。内容もよく覚えている。

●親知らずを抜く際に麻酔が効かず「効いとらん!」と医者に訴えたにもかかわらずそのまま抜かれた話

●麻酔もせずに痔を切られて泣いた話

他にもあるのだが、だいたいこの辺りでやめておく。酔っ払うと必ず話すこの類のエピソード。ある日私は思い立って、ノートとシャープペンを手に取った。そして父の悲劇をエッセイにした。

モードはさくらももこ。
ノートを横にし縦書きで書き綴った。
どのくらいの期間書いたのか覚えていないが、短編集的なものに仕上げた。題材の割に真剣すぎる取り組み方だった。そしてそれを家族に回し読みしてもらい大爆笑をとった。

まだまだ純度100%だった私は「まだいける!」と思い、次は小学校のクラスメートの中で主人公を決めエッセイを書くというテーマに取り組み始めた。とは言っても、公に見せる訳ではなく、その友達に見せて笑ってもらおうと思った。なんの情熱があってそんなことをしていたのかわからないが、子供の頃は心のままに行動していたのがわかる。

そして数名の友達をエッセイにした。そして一番の親友のMに「いやだー!」と嫌がられ、人を書くことは嫌がられることもあるとわかり、友達のことを書くのはあっさりやめた。自分の中で人に喜んでもらわないと意味がないという一線があったらしい。

そして中学生となり、自分のことを書こうと思い立った。平日の朝の分単位の戦い。道路をこちらに向かってくるバスと自分とでどちらが先にバス停に着くかというギリギリレースをエッセイにした。

どの作品もタイトルをつけていた。父のエッセイのタイトルは『ひまわりの種』。さくらももこ感は満載だが、どう考えても内容と合っていない。そして自分のエッセイは『ちょうちょの心』。友達のエッセイのタイトルは忘れてしまった。こうして私のエッセイブームは終わった。

月日が流れ社会人となり実家に帰った時、ふとエッセイのことを思い出した。もう10年いや15年は見ていない。久々に読み返そうと思うとそのノートがない。どこを探してもない。

タイトルを書きシールまで貼っているので誰かが捨てることはないし、ましてや自分で間違って捨てることなどない。引き出し、棚、屋根裏…どこを探しても結局出てこなかった。母にそのエッセイを覚えているか聞くと「あったね〜。おもしろかったね〜あれは。」と。どこにあるのかわからないが、読みたいなぁと思う。

・・・

こうして振り返ってみると、子供の頃って本当に素直だ。「上手」と言われたら「上手なんだ!よし!」と思ってそのまま突っ走った。今は「自分はたいしたことない」なんて思ってしまう。子供の頃が純度100%なら、今は何%だろう。

だけど最近、改めて「書く」ことにもっと取り組みたいと思うようになった。いろんなことを体験し、経験させてもらい、自分が人に喜んでもらって役に立つにはやっぱり「書く」ということだと、ストンと落ちてきた瞬間があった。その根底には冷蔵庫掃除の絵日記をほめられた嬉しさが間違いなくあると思う。これからも書くことをこうして楽しみたい。

さて、そんな私のエッセイノートは2023年も未だ紛失中。何かが奇跡のようにめぐりめぐって、もしもノートを見つけた方は、どうかご連絡ください。『ひまわりの種』『ちょうちょの心』というタイトルを表紙にペンで書いています。

緑が雨で光る季節。
できるだけ元気に。

おしまい。

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